ことばのくさむら

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『愛という勇気』(2)

●10年ぶりに再刊した一冊の本
  
愛という勇気 -自己間関係理論による精神療法の原理と実践-』 
THE COURAGE TO LOVE(S・ギリガン著/崎尾英子訳)への招待(2)
   

   

   
●治療者が座るところ:身体で経験される自分とは、自然の生命として与えられた身体から伝わってきて実感される感覚と、根底に脈々と流れる集合的無意識としての元型を指す。生命の通過する点である「しなやかで柔軟な部位」を感知できれば、治療者がクライエントの人生で生起している出来事に潜在する積極的性格を見極めるうえで役に立つ。(中略)どの人間の人生もこの中心点を通過して紡ぎ出される生命の糸で織られつつあるタピストリーである。治療者がクライエントとともに席に就くとき、治療者はどの色の糸がいま紡ぎ出されているかに興味を持ち、それらに正しい名を与え、居場所を与える方法を探る。〈p.36〉
●すでに変化ははじまっていることに気づく:……やさしい気持ちで目覚めており、起こる経験を吸収し、それからそれを手放すことが要求される。今ここに心することとは何かを「為す」ことではなく、有効に何かを為すために、それ以前に身につける技としての、「そこに居る」ことを言う。受動的な従属でも、積極的な抵抗でもなく、暴力によらずに生きて、そして愛する方法の学習である。〈p.38〉
●中心と結び合わせる:自分の中心と結び合わされるという技術は、誰も完璧を期すことはできない。われわれの示す応答の多くのものは、中心ではない場所から出てくる。古いギリシャの逸話にあるように、われわれは魂を日に百回、いや干回捨て去る。捨て去った中心、あるいは魂に戻らないときに問題が起こる。(中略)
 ここでの問題は、統合されていない応答行動は統合がなされるまで反復するという点である。この点で自然は限りなく忍耐強く、しかも冷酷でもある。何年もかかったり、時には数世代をかけて、人間存在が愛をもって触れ、受け入れることで、統合されるまで繰り返される。成熟した人間存在が「問題」と関係を持つまでは、「問題」は除去されるべき「制御不能」なプロセスに見える。サム・キーンが元型としての「宿敵の顔」と述べた様相を呈する。治療では宿敵の顔には「脱人間化された他人」である不安やうつなどが含まれる。治療者の多くは、それらの非人間的な名前で呼ばれる存在を取り除くことを正当化されているばかりか、義務でもあると感じている。自己間関係理論では、「他人」へのこのような暴力的な姿勢はさらに苦悩を深める根拠になると考える。〈p.38〉
   

   
●自己間関係理論では:特にそれが身体内部でどこに感じられるかに焦点を当てながら、この「いないことにされた自分」を探る。これはそれほど明瞭に見えなかったりするため、直接的に知ることは難しいかもしれない。苦悩とじかに関係しないで済むように、自己防衛の目的で「軌道から外れて」いるからである。〈p.39〉
●どう中心とつながるか:「しなやかで柔軟な部位」の周囲には、多くの恐怖心や自己懲罰的過程がぎっしりと詰めこまれている。したがって十分な敏感さを持ちつつ進むことが必要である。治療者がクライエントに応答していくうえで、クライエントの中心ばかりでなく治療者自身の中心とも、まずつながることが必要である。クライエントが自分の経験を語るときのストーリーや判断に治療者が惑わされないでいるためには、非認知的な中心とつながることが特に有用である。それができれば、治療者がクライエントの苦しみがどこに中心化されているかを感知し、治療者内部の同じ場所を開放することも容易になる。例えば、クライエントが心臓のあたりの痛みを訴えたとすれば、治療者は自分のその領域を開き、そことのつながりをそっと維持しながら仕事を進める。クライエントのどの経験も治療者の内部の何かを広げるから、これは自己防衛にも治療目的にも適うものとなる。例えば、あるクライエントが子どもを失った悲しみを語る場合、治療者も似たような悲しみを感じる傾向がある。この共有された苦悩こそが、自己間関係理論に添って治療関係を創るとき中枢的な重要性を占める慈悲心の基盤となる。しかし治療者が苦悩を経験するからといって、その苦悩にまつわる自己否定的な記述をするわけではない。治療者がこの姿勢を取ることによって、経験された痛みを伴いながらも愛に基づく関係へと移行する可能性が開かれる。言いかえれば、悲しみのもたらす恐れや失望を感じるのではなく、治療者は愛と好奇心をもって、悲しみにつながる。それによって、苦悩は自分と他人への愛情を増すための基盤として受け入れられることになる。そしてこの苦悩の受容こそが、ひるがえってこんどは、人生のもたらす多くの困難な課題への抵抗力と柔軟性と応答性とを増すのである。
 苦悩と付きあう際に、その人間の喜びや能力や強さを同時に認識しておくことが重要である。実際、問題が起こるのは、苦悩が生じるときに、その人間がそれ以外の人生の諸側面を忘却することにもよる。傷/失敗と能力/資源とに同時に触れる対話こそが、この両者を同時に抱える経験を創造する。
 苦悩とは、それについて語るのがむずかしい話題であるようだ。ある面では人々はそれを矮小化したり、切り離したりして、特定の思考や訓練をなせば苦悩を回避できると誤解しがちである。また別の面では、人生についてまわるアイデンティティの一部として正当化され、自己細分化や自己憎悪の基礎をつくる。〈p.39・40〉
   

   

愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践

愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践

      
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