ことばのくさむら

言叢社の公式ブログです

『愛という勇気』(6)

●10年ぶりに再刊した一冊の本
  
愛という勇気 -自己間関係理論による精神療法の原理と実践-』 
THE COURAGE TO LOVE(S・ギリガン著/崎尾英子訳)への招待(6)
   
  
  著者
 
 

§S.ギリガン著『愛という勇気』を読んで(2)
中野美和子 −さいたま市立病院小児外科−
 

 
S.ギリガン著
『愛という勇気 自己間関係理論による精神療法の原理と実践』を実感する場所
 
なにかをなくすということ
 
 喪失の痛み、それは時に耐えがたい。時に? いや、常に。 病気で自分の一部をなくす、自分の家族をなくす、時間を、仕事を、生活をなくす。自分のそれまでの人生を否定されるできごとである。だから、人はおうおうにして、その現実と向き合わない。わたしのような医療に携わるものは、そのような人と出会わざるを得ない。その現場にいなければならない。
 そして、私自身の現実がある。人生の過程で、何かをなくし、そして新しい出発をしなければならない時がおきる。実は既になくなっているのに、それを認めることができず、新たな出発ができない私。「卒業」というには、あまりにも喪失が辛い。
 そのような時に、自己間関係理論、『愛という勇気』、そして、ギリガンのスーパービジョンに出会ったことは、別の自分、新たな、しかし、既に私の中にあった自分をみつける大きな助けになった。
 『愛という勇気』の中から、私の大好きな挿話を引いてみよう。ギリガン自身もこの話を愛しているようで、セミナーの際によく語っている。そして何度聞いて、もすばらしい逸話である。彼の語りの内容と私の多少の脚色?と感想を交えて、再現してみる。
 「第5章 技術としての愛情」 の中に書かれている、ミルトン・エリクソンの「ミルウォーキーのアフリカスミレの女王」の症例である。オリジナルの報告はゼイクによる。
 エリクソンはある時、自分の患者のひとりから、彼の叔母が 鬱状態で、自殺するのではないかと心配だと相談を受けた。彼は内科医である。ミルウォーキーに行くついでがあった時に、ぜひ彼女を診察してほしいと頼んだのだ。エリクソンミルウォーキーにある、彼女の大邸宅を訪問した。彼女は裕福な女性で52歳(まさに 更年期鬱病ということだろう)。エリクソンがドアを開けると、屋敷の中は 灰色の世界であった。住まいの全てが灰色、いきいきとしたものが何もない。そこに独身の中年女性がひとりで住み、他のだれとも接触しない。信仰には篤く、唯一の外出は教会の礼拝である。孤独で、孤立した毎日。裕福な信仰篤い家庭で育ったため、誰を頼る必要もなかったが、頼られることも避けていたのだろう。結婚したのか、どのような人生を送ったかは書かれていないが、両親が亡くなり、兄弟姉妹が家から独立していったのだろう、今となってはひとりぼっち。誰からも顧みられず、鬱々と過ごしている毎日。
 しかし、エリクソンは見逃さなかった。居間のテーブルにアフリカスミレの鉢植えがあったのだ。アフリカスミレはセントポーリアともいうが、日本でも一時流行した室内栽培に向く花だ。深い緑の葉に、小さなピンクや青紫の5弁の可愛い花を次々に咲かせる。エリクソンは彼女に誰がその花を育てたのかを尋ねた。彼女であった。彼女はセントポーリアを育てるのがうまいのだ。そこで、エリクソンは彼女に、もっとセントポーリアを育てることを命じた。花の苗をたくさん買って、どんどん育てる。そして、教会で出会った人々に、それを贈るように指示したのだ。知人であっても、ただ教会で挨拶を交わすだけの仲の人でもよい。ともかく、教会に来ている人々に、誕生日や、卒業の記念に、結婚の祝いに、あるいは退職の日、亡くなった日に。
 そのような贈り物には、言葉はいらない。花の鉢植えそのものが、彼女の気持ちを語り、そして、語り続ける。贈られた人々は、鉢植えを見るたびに、記念となった出来事を思い出すと同時に彼女のことを思い出す。そのうち何の折に贈られたかは忘れても、彼女から贈られたことは忘れない。教会で彼女に会えば、花のことで彼女に話しかける、それを糸口として、彼女の存在をみなが認識する。彼女自身はセントポーリアの世話でけっこう忙しい。「この女性はうつ状態に留まるには忙しくなりすぎてしまった。」 贈り物を喜ばれると、さらにすばらしい花を贈りたくなる。皆が自分の存在に気付き、認め、称賛してくれる。もうひとりではないのだ。その社会の一員なのだ。そして、他の人の人生にどういう記念すべきことが起きたかを知る、人々の喜び、悲しみを共有している。「彼女は地域社会で活動的な存在となり多くの人に愛された。彼女は20年後に亡くなったが、『ミルウォーキーのアフリカスミレの女王』の死を悼むために何百人もの参列者が葬儀に訪れた。」 ミルウォーキーの新聞には彼女の死亡記事が大きく掲載されたという。
 この女性は、自分では、人生の全てを失ったように思い、孤独であった。しかし、孤立してはいなかったのだ。現に彼女の甥は心配してエリクソンに相談している。おそらく、屋敷には召使いもいただろうし、教会には知人もいて、かれらは心配していたはずだ。しかし、彼女は受け身で、ひとりぼっちで鬱状態におちこんでいった。それを変えたのは、エリクソンという目がみつけた、彼女の中にある、花を育てる自分であった。そして教会に通う自分がそれを他の人々と繋いだのだ。
 
 この話の時になぜか思い出す ある夫婦の物語がある。NHKテレビのドキュメンタリー番組で見た話だ。
 老夫婦は、山村に住んでいる。最も美しい日本の風景の一つである、山里。山の傾斜地に作った田畑を耕して、生活を営んでいた。結婚し、こどもを育て、その子供たちは村を出て独立し、家庭をもっている。夫婦二人の平和な毎日。しかし、老いは確実にやってくる。傾斜地の畑を維持していくことは徐々に難しくなっていく。その畑は100年もかけて、その家族が山を開墾し、営々と耕してきたのだ。その苦労を思うと簡単には止められない。そして、いったん耕作をやめれば、田畑は容易に荒廃する。そうかといって、後を継ぐこどもはいない。かれらは都会でそれぞれの道を見出している。そのことは時代の流れであり、よい悪いの問題ではない。
 その時、夫婦はどのような道を選んだか。傾斜地の畑を 山に帰すことに決めたのだ。山里の山は、放っておいたのではできない。人が手を入れてできる。夫婦は 花の咲く木、紅葉のきれいな木を選び、畑に植え、山を作っていった。先祖から受け継いだ畑を山に戻すという決心、胸の潰れるような気持ちであっただろう。しかし、美しい山を作るという労働は元気のあるうちしかできない。何年もかかる。残されている時間は、それほどはないのだ。何年か先に、あるいは何十年か先に、人々がそこを訪れた時、旅の途中で立ち寄った時、花をみて、木々の緑を見て、紅葉を見て、ほっと一息つけるように。それを思って決断したのだ。その時にこの夫婦には、自分たちは死んで見ることができないであろう未来の山がしっかりえていたに違いない。そして、そこで憩う人たち、彼らは夫婦の家族かもしれない、見知らぬ通りがかりの人かもしれない、人々との繋がりを、はっきりと感じたのだ。自分たちの人生を、先祖の分も含めて、いったん否定することになる決断を行い、苦労して新しいものを作り出す。作った山は、維持管理しなければならない。自分たちが動けなくなれば、もしかしたら、放棄されて荒れた山になるかもしれない。しかし二人は、きっと誰かが繋いでくれると信じて決断し、実行した。その山を訪れてみたいと思わない人はいないだろう。
 
 そう、人はなにかを捨てて、次の日を歩みだす。私たちは実は、毎日何かを無くしている。少なくともこの1日は確実に無くなっている。しかし、この1日の経験を得ているのだから、新たな1日を始めることができる。何かを無くした自分、そのことをみつけた自分、別の私、新たな私、さまざまな私に出会うために。
 

 
★編集部より
S.ギリガン著『愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践』は訳者・崎尾英子さんが亡くなったあと品切れのままになっておりました。ギリガンさんが再び日本でもワークを再開されたこともあり、読者の方々、また崎尾さんの同僚の方々からの再刊の要望が強くありました。同僚の一人中野美和子さん(現・さいたま市立病院小児外科)は、いま、医療現場で子どもたちが示すさまざまな症状に対して、精神的に適切なサポートがなされて、はじめてはっきりと治癒に向かう子どもたちの幾人もの姿を前に、この精神的に援助していく形を、どんなふうに恒常的に医療現場にくみこんでいくことができるかを考えてこられました。ギリガンさんのアメリカでのワークをここ何年にもわたって参加されてきたことでもあり、この本へのかかわりを窓口に、医療の現場での思考を率直に、エッセイを寄せてくださいました。
*中野先生が、再刊を機に、CTL(原題Courage To Love)の勉強会をたちあげられました。この本を丁寧によみすすめていくなかで、それぞれの分野の人々が自分たちの経験とつきあわせながら、「自己への気づきの場」をつくっていきたいという主旨のものです。毎月第三土曜日午後2時から4時ごろまで、500円。場所は世田谷区弦巻です。
くわしくは「CTL」の会事務局:飯島恵子さん keiko@theia.ocn.ne.jp までお問い合わせください。