ことばのくさむら

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『「古武道」伝承の歴史人類学的研究 ──モノ・ナマエ・ワザの過去と現代』 足立 賢二

著者に聴く 時々の言葉にみちびかれて

 

「武医同術」研究へのみちのり  足立賢二

 

筆者が「武医同術」研究を志したのは、恩師であるS・A先生の教えを契機とする。

かつて、<ライフワーク>を尋ねたとき、S・A先生は次の答えを筆者に示した。

 

「ライフワークをみつけられる可能性が実は非常に小さく、みつけてもできる可能性がかなり小さいので、両可能性をかけるとライフワークを完了できる可能性がゼロに近いことがよくわかります」

 

筆者はこのとき以降、“自らの<ライフワーク>“をどのようにみつけるか、そしてそれをいかにして完了させるか”について考えるようになった。

 

最初は、<伝統医療>に注目した。この前後、筆者は突然難病にかかって寝たきりとなった母親の介護のため、勤務先を辞めて帰郷し、痛みに苦しむ母親が最も喜んだ、<手当てのワザ>を身につけるために専門学校に通い、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師の国家資格を習得した。しかし、その母親が没してしまったため、この先の自らのあり方を模索していた。そこで筆者は、苦労して身につけたこれらの知識と実践経験(いわゆる東洋医学の知識と実践経験)を踏まえて、「現代日本における<伝統医療>の追究」を筆者のライフワークとしてみいだせるのではないかと考え、<伝統医療>に注目したのである。そして、人的なつながりのあった南インドをフィールドとすることとし、文化人類学分野、特に医療人類学分野の視点を改めて勉強しはじめた。

 

 

南インドの風景 (2010)

 

ツボを示しているところ (2010)

 

南インドでの鍼治療 (2010)

 

このとき筆者はすでに40歳台に突入しており、修士課程修了後10年以上を経ていたので、学界の動向を知るのに非常に苦労した。このころ精神的な支えにしたのが、S・A先生のもう一つの教え「壮(35–45歳)にして、研究テーマを転換せよ」であった。

 

S・A先生は、佐藤一斎(1772-1841)の『言志四録』の言葉を、目指すべき研究者のモデルとして筆者らに紹介していた。すなわち、「少くして学べば、すなわち壮にして為すことあり、壮にして学べば、すなわち老いて衰えず、老にして学べば、すなわち死して朽ちず」という言葉について、「現代社会の研究者にあてはめると、20歳までを「少」、20歳–35歳を「少/壮」、35–45歳を「壮」、45–50歳を「初「老」」、50歳以降を「老」とみなすことができる」とし、「壮」における「研究テーマの転換」が、<研究者としての大成>と<ライフワーク実現>の鍵であることを、以下のように筆者ら教え子に示していた。

 

「35–45歳の「壮」の研究者にとって本当に大切なことは、研究テーマの転換を計ることである。院生時代以来のテーマを同じ人が研究して新しい成果があがるのは、その人の35歳前後までである。多くの研究者は「専門」を固定的に考えて、この転換努力を軽視しやすい。その思い違いが研究者としての大成を妨げる〔・・・・・・〕」

 

「ライフワークを実現するには、35歳前後から10年かけて基礎を造り、40歳代後半の5年をかけて内容を具体化する必要がある〔……〕「少」の努力でえた職場を生活手段と強く意識し、「壮」の努力を怠る研究者は、20歳代以来の専門分野がタネ切れなる30歳代中葉以降もそのテーマに固執し、「老」に至る〔……〕」

 

さて、医療人類学分野の視点を学ぶ中で、筆者はこの分野の視点・諸概念が、現代の武術/武道の実態追究に際しても活用できる点に気づいた。つらつら考えるに、筆者は幼少期より現代日本で伝統とされる武術/武道の修行を継続してきたので、筆者の<ライフワーク>の実現には、<伝統武術>も欠かすことはできないと考えた。そして、筆者の武術修行の中で特に馴染みのあった、「武医同術」という言葉に改めて注目するに至った。

 

稽古風景

 

筆者が学んだ幾つかの武術流派では、「武術」と「医術」とは分かちがたく結びつくものと説明されていた。そして、筆者が学部生~院生時代に師事した恩師であるY・S師範は、立体裁断を得意とするテーラーであるものの、武術と武術に含まれる医術(整体術)だけでなく、療術やヨガにも造詣が深く、対面した人の洋服の着こなし方や裁断の仕方を一瞥するだけで、その人の心身の不調を指摘することが多く、それがまたよく当たるのであった。

 

座が抜けそうなほどの膨大な量の書籍・雑誌に埋め尽くされていたY・S師範のテーラーの様子は、今でも忘れられない。Y・S先生に憧れ、片道74㎞の道のりを週2回、10年間ほど通った筆者は、「武医同術」と言う言葉にずいぶん長く親しみを持っていたことを、「壮」にして再確認したのであった。

 

こうして筆者は、「壮」にしてようやく、<武医同術>というライフワークをみつけた。

 

このライフワークの追究には、<伝統武術>の追究が必要である。そこで筆者は、ひとまず<伝統医療>の追究は休止し、日本をフィールドとして、<伝統武術>の研究に着手することとした。なぜならば、現代日本において<伝統医療>の人類学的研究は活発であるが、<伝統武術>の人類学的研究はあまり活発ではなく、2010年ごろからN・T先生のもとようやく活発化しはじめたものの、まだまだ未開拓の部分が多いとみなすことができたからである。

 

調査中の風景

 

「壮」における学びを見守ってくださったのが、恩師であるS・S先生である。S・S先生は、社会人生活の中で染みついていた筆者の良くないスタイルを的確に指摘し、これをドーナツに喩え、「クリームドーナツになるな、オールドファッションを目指せ」との含蓄ある教えをいただいた。以来、筆者これを<オールドファッションの教え>として肝に命じ、好きなおやつはドーナツの「オールドファッション」となった。また、空白期間のある筆者の発表や研究のスタイルについて、「古き良き国立大学時代のかおりがする」と肯定的に捉えていただいた。

 

そしてS・S先生の薫陶のもと、ようやく筆者が目指すライフワークとしての「武医同術」研究の基礎ともなる<伝統武術>追究の成果を、博士論文としてまとめ、本書『「古武道」伝承の歴史人類学的研究』として、言叢社より刊行することができたのである。すなわち本書は、「壮」における筆者の<研究テーマの転換の軌跡>を形にしたものでもある。

 

筆者の研究者としての出発は遅く、<ライフワーク>を完了する道のりはまだまだ遠い。そして、筆者の眼前には「老」が迫っている。しかし、S・A先生が示した一斎の<老にして学べば、すなわち死して朽ちず>を踏まえ、S・S先生の<オールドファッションの教え>を忘れず、Y・A師範といった武術の師匠らの薫陶をもとに、「武医同術」に対する学問──すなわち<真理の探求>──を、本書を基盤として、今後も目指してゆく決意である。

 

(2022年6月)

 

 

 

 

足立賢二 アダチケンジ【著】
言叢社【発行】
ISBN: 978-4-86209-087-4 C3039
[A五判上製]
500p 21cm
(2022-03-26出版)
定価=本体6200円+税

 

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【著者略歴】
足立賢二(アダチケンジ)
1973年岡山県に生まれる。岡山県立倉敷古城池高等学校、信州大学人文学部人文学科、信州大学大学院人文科学研究科地域文化専攻、四国医療専門学校鍼灸マッサージ学科を経て、名古屋大学大学院人文学研究科人文学専攻博士後期課程単位取得後満期退学。名古屋大学大学院人文学研究科博士候補研究員、宝塚医療大学保健医療学部准教授。本書論文により、名古屋大学から博士(文学)の学位を取得。「武医同術」をキーワードとして、日本の伝統武術と伝統医療を対象とする歴史人類学的研究を展開している。