ことばのくさむら

言叢社の公式ブログです

《著者便り》ふくもと まさお氏(1)

● 編集部からのメッセージ
縁あって書籍という形で、言叢社の著者になってくださった方々に、表現の芯にあるものに、少しでも読者がちかづけるように、ご自身の著書をめぐって、いわば本の行間を散歩していただき、また、その散歩が、多様な本にめぐり合う機縁を生みだす場になれば、うれしく思います。

 
第一回目:著者便り
・ふくもと まさお氏(1)  
『ドイツ低線量被曝から28年―チェルノブイリはおわっていない』(2014.3.11発行)の著者
著書の紹介:http://www5.ocn.ne.jp/~gensosha/gendai/28-1.html
「福島・飯舘の「若妻の翼」の会員10人が10日間の日程でドイツを訪れることになった。前年に言叢社でだした『山の珈琲屋 飯舘 椏久里の記録』市澤秀耕・美由紀著が機縁で、ベルリンの案内を、ふくもと氏が引き受けてくださり、そのときの感想が届いた。
 
 
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ベルリンから著者便り(1)ふくもとまさお
 
 6月、飯館村の女性10人がベルリンにやってきました。25年前ドイツとフランスに海外研修旅行にきたことのある飯館村「若妻の翼」の19人のうちの10人。3.11後、みなさんは避難を余儀なくされ、現在、福島県内でチリチリバラバラになって疎開生活をおくっています。
 ぼくの本のちょうど一年前に同じく言叢社から出た『山の珈琲屋 飯館「 椏 久里」の記録』の著者の一人市澤美由紀さんが音頭を取って、ベルリンにくることになったということです。みなさんがベルリンにくることになったのには、1つの大きな理由がありました。
 みなさんが25年前にドイツを訪れた時は、ベルリンの壁が崩壊する数ヶ月前。それから東西ドイツが統一され、冷戦が終結します。その後、テレビ朝日ベルリンの壁の跡地に桜の木を植樹する「桜キャンペーン」を行います。飯館村の「若妻の翼」は、植樹する桜の苗木のためにカンパをしたのでした。
 そして、その桜が今どうなっているのか。成長している姿を見たい。それが、みなさんをベルリンに引きつけた一番の理由でした。そこには、25年前に訪独した自分たちのそれからの姿と、ベルリンの壁の崩壊後に植樹された桜の木が成長する姿。それが、二重映しになっているのだと思います。
 自分たちは3.11後避難して、いつ飯館村に戻ることができるのかわからない、不安で苦渋の生活を送っている。でも自分たちが贈った桜の木には、大きく育っていてほしい。桜の木を見たいとは、自分たちの今のつらい境遇を忘れて、すくすく育った桜の木の姿をみたい、そして希望を持ちたいということではなかったのかと思います。
 ぼくたちは、東西ベルリンの国境検問所で一番最初に開放された「ボーンホーム通り検問所」のすぐ下にある桜の木を見に行きました。
 当日は、真夏のように暑い日でした。ホテルから電車を乗り継いでボーンホーム通り駅にきます。まず、検問所のあった辺りで簡単に壁の開いた当日の話をしました。それから、桜の木を見るために下に降ります。桜の木は電車の線路沿いに植樹されています。並木道のように細い遊歩道の両側に青々と茂っています。桜の木のトンネルを歩いているようです。
 すると、「桜の花が咲いているわよ」と歓喜するような声が聞こえてきました。みんながそこに集まります。もう6月で真夏のような日。通常だと桜の花が咲いていることは考えられません。
 いや、本当でした。上から降りてきたすぐ脇のところにある桜の木1本だけに、3輪の花がひっそりと隠れるように咲いていました。八重桜の花です。
 みなさん、「桜の花よ。すごい、すごい!」と歓声を上げます。目頭を熱くしている人もいました。
 思ってもみなかった桜の花。飯館村の女性たちのために咲いてくれていたとしか思えません。その桜の花が、みなさんの重い気持ちを和ませてくれたのは間違いありません。
 ベルリンにきてもらえてよかった!
 ぼくは、必至に涙をこらえました。 
 
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これは、桜の木のある上が東ドイツ時代ボーンホーム通り国境検問所があったところで、ここが1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊する日に、一 番最初に開けられた国境検問所です。そして、当日検問所を開けた時の写真が展示されています。(バックの壁は当時のままではない)
 

その写真の前で記念撮影
 

その検問所跡を下に降りた線路沿い(元、東西国境地帯)に桜の木が植樹されています。
上から降りたすぐの所の桜の木。この木に花が咲いていました。
 

テレビ朝日のキャンペーンで東西べルリンの壁跡に桜の木を植樹したと記されたメイ銅板
 

桜並木を背景にツーショット
 

桜並木を背景にみなさんで記念撮影
 

ここは、ベルリンの壁記念館からベルナウ通り沿いに残された壁地帯を上から撮影したものです。壁の監視塔が見えます。手前の壁が国境線で、西べルリン側の壁。写真奥の壁が東べルリン側の壁です。
その間は「死の帯状地帯」といわれ、逃亡しようとするとすぐに見つけやすくやっていました(上記7枚、市澤美由紀さんから拝借)。
 

「残り桜」飯舘の皆さんを送った次の日、もう一度いってみたら、一輪がのこっていました(著者撮影)。
 
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【参考資料】飯館村「若妻の翼」(『山の珈琲屋 飯舘椏久里の記録』より)
 

 

 

 

 
 

ドイツ・低線量被曝から28年―チェルノブイリは終わっていない

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