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檜枝陽一郎氏、第50回日本翻訳文化賞、受賞!

檜枝陽一郎氏が、本社発刊の『中世オランダ語 狐の叙事詩』にて、第50回日本翻訳文化賞を受賞されました。(2013年度)
 

 
中世オランダ語 『狐の叙事詩
「ライナールト物語」「狐ライナールト物語」
Het Middelnederlandse epos van de vos “Reynaerts Historie” en “Historie van Reynaert die vos” vertaald en verklaard door Yoichiro Hieda
 

 

 

受賞挨拶中の檜枝氏
 

 
●中世フランスの『狐物語』からゲーテの『ライネケ狐』まで、「狐の物語」はヨーロッパ文化の底流をなして受け継がれた重要なテーマです
 
◎訳者による、用文の徹底した考証により、動物寓話の形を取って語られた中世最高の叙事詩文学、「世俗の聖書」ともよばれた本書の本質を捉え描いた、魅力的な「読解」が添えられています。
 
◎王権と教権が与える「うわべ」の正義と法の言説、これに対抗する狐ライナールトの一族のすさまじい「本然の悪」と「知恵」の物語は、単なる処世の術を超えた共感と感動を人々に与えつづけ、やがて教会権力による「発禁処分」とさえなった。
 

 
●今回、この魅力的な中世オランダ語の翻訳をされた、檜枝氏に翻訳の苦労など、『狐の叙事詩』ができるまで、を書いていただきました。
 
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『狐の叙事詩』ができるまで
檜枝陽一郎 翻訳・読解
  
 
『狐の叙事詩』が完成するまでに、困難を伴ったがゆえに忘れられないさまざまな経験を以下に語っておきたい。
 
1 単語ノート作り
第一篇の『ライナールト物語』および第二篇の『狐ライナールト物語』を通読すると、狐のライナールトが、さまざまな形容詞を使っていかにも悪者のように描写されているのがわかる。「非情な」とか「無慈悲な」あるいは「不純な」とか「罪深い」、「背信の」、「狡猾な」狐のライナールトといった具合である。また狐は、「悪漢」と呼ばれたり、「殺し屋」や「詐欺師」、「ごろつき」、「盗人」などと形容されたりしている。翻訳する際に重要だと思えたのは、まずそうした形容詞や名詞が各々しめすところの概念を確定することであった。「非情な」また「無慈悲な」という概念と、「不純な」ないし「罪深い」という概念はあきらかに異なっている。したがって、訳す際の第一の手順は、狐ライナールトに使われたさまざまな形容詞や名詞について、辞書を丹念に調べて概念規定をすることにあった。たとえばfierという形容詞は、「野蛮な、粗暴な、乱暴な、獰猛な」といった粗暴な行動一般をあらわす一方、felという形容詞は「非情な、冷血な、残虐な、酷薄な」といった感情面での冷酷さを示している。このように、一つ一つの形容詞や名詞を丹念に調べあげ、その意味を単語ノートに書き留めていくというのが、翻訳にあたっての最初の作業であった。最終的には46の単語について、それがあらわす意味領域を特定した。それができあがったことで、それぞれの単語についてブレのない統一的な訳が可能になった。これは、原文にfelとあれば、訳文ではかならず「非情な」あるいは「無慈悲な」と訳されていることを意味する。
 単語ノートを作成した結果、第二篇の『狐ライナールト物語』を訳出するときも、それぞれの単語についてブレのない統一的な訳を当てることが可能になった。第二篇でもfelという単語が原文にあるときは、第一篇と同じく「非情な」あるいは「無慈悲な」と訳されている。単語ノートづくりは、当初は手間のかかる回りくどい作業だと思われたものの、結果的に訳にばらつきを出さずに、原語と訳語とのあいだにほぼ統一的な意味の関係を作り上げるのに有効であった。その点で、逆にすこぶる効率的な方法であるのが判明した。
  
 
2 二つのよく似た叙事詩を翻訳することの困難
第一篇の『ライナールト物語』は韻文写本、第二篇の『狐ライナールト物語』は散文印刷本という体裁をとっている。そして両者の内容はよく似ているものの、微妙に異なる。『狐ライナールト物語』が第一篇の内容をほぼ踏襲しているのは明らかであるとはいえ、そこには随所に省略や細かな加筆、単語の入れ替えがおこなわれており、このようによく似た二つの叙事詩を、変更された原文通りに訳出するのは、かなり神経を使う困難な作業であった。まったく異なる二つの作品を訳す方がはるかに簡単だと思う。以下にその例をあげておきたい。熊のブルーンが、ライナールトによって蜂蜜の嘘話に騙されて、一緒にラントフレイトの家屋敷に出かけた場面である。『ライナールト物語』では「彼は、あたかも溝に導かれる盲人のようについて行った。一緒に出向いてラントフレイトの家囲いの中に入ると、ブルーンは小躍りした。しかし、多くの者がぬか喜びするのはよくあること。ところでラントフレイトのことをお耳に入れましょう。彼は、みなが言うことが本当なら、絶賛を浴びている大工で、森から樫の木を屋敷に運び込んで、翌日に割るつもりでいた。それで大工がよくするように、二本の楔を木の中に打ち込んで、一方の端は大きく広げてあった。」(691行〜706行、本文29頁)とある。他方、『狐ライナールト物語』によると同じ箇所は「彼は、あたかも溝に導かれる盲人のようにライナールトについて行った。一緒に出向いてラントフェルトの家囲いの所に来ると、ブルーン殿は大喜びした。ところでラントフェルトのことをお聞きあれ。みなが言うことが本当なら、彼は絶賛を浴びている逞しく律儀な大工で、森から樫の木を屋敷に運び込んで、翌日に割るつもりでいた。それで人がよくするように、二本の楔を、一つは後ろにもう一つは前に打ち込んで、樫の木は大きく広げてあった。」(18頁27行〜19頁5行、本文219頁)とある。話の順序にしたがって両者を比較してみよう。
 

『ライナールト物語』
「彼は、あたかも溝に導かれる盲人のようについて行った。」
 
『狐ライナールト物語』
「彼は、あたかも溝に導かれる盲人のようにライナールトについて行った。」

太字の「ライナールトに」が加筆されているのがわかる。
 

『ライナールト物語』
「一緒に出向いてラントフレイトの家囲いの中に入ると、ブルーンは小躍りした。」
 
『狐ライナールト物語』
「一緒に出向いてラントフェルトの家囲いの所に来ると、ブルーン殿は大喜びした。

『狐ライナールト物語』では、太字部分に見られるように原文が微妙に書き換えられている。それを考慮しながら訳してみると、結果として以上のように微妙に異なる訳となった。
 

『ライナールト物語』
「しかし、多くの者がぬか喜びするのはよくあること。」

『狐ライナールト物語』では、この一文はまるごと省略されている。
 

『ライナールト物語』
「ところでラントフレイトのことをお耳に入れましょう。」
 
『狐ライナールト物語』
「ところでラントフェルトのことをお聞きあれ。

『狐ライナールト物語』では「お耳に入れましょう」が「お聞きあれ」に書き換えられ、その原文を見ると押韻の解消が図られているのがわかる。
 

『ライナールト物語』
「彼は、みなが言うことが本当なら、絶賛を浴びている大工で、森から樫の木を屋敷に運び込んで、翌日に割るつもりでいた。」
 
『狐ライナールト物語』
「みなが言うことが本当なら、彼は絶賛を浴びている逞しく律儀な大工で、森から樫の木を屋敷に運び込んで、翌日に割るつもりでいた。」

『ライナールト物語』では、太字部分の「みなが言うことが本当なら、」は挿入句となっており、原文の語順のままに訳してある。他方、『狐ライナールト物語』になると、この挿入句としての構造が解消され、「みなが言うことが本当なら、」は文頭に移動させられている。したがって、そうした文の構造のちがいに配慮した訳を試みたつもりである。また、『狐ライナールト物語』では「逞しく律儀な」が加筆されているのが了解されるだろう。
 

『ライナールト物語』
「それで大工がよくするように、二本の楔を木の中に打ち込んで、一方の端は大きく広げてあった。」
 
『狐ライナールト物語』
「それでがよくするように、二本の楔を、一つは後ろにもう一つは前に打ち込んで、樫の木は大きく広げてあった。」

上の短い一文であっても、様々な変更が『狐ライナールト物語』では加えられているのがわかる。「大工」は一般的な「人」に変えられ、また読者がその場面を理解しやすいように「一つは後ろにもう一つは前に」が添加され、また「一方の端は」が「樫の木は」に変更されている。
 
 以上見たように、一読しただけでは気づかないような、じつに細かな変更が『狐ライナールト物語』全般にわたって見られ、これらを考慮しながら精確に訳し分けるのはひじょうに骨の折れる困難な仕事であった。
 
 
◎本書に掲載した写真について
本書には、ヨーロッパ各地で撮影したライナールトゆかりの地の写真を、参考のために五葉掲載してある。いずれの写真も、訳者が一人で現地に赴いて撮影してきたもので、以下の⑴〜⑸の写真がそれである。
 
⑴フルステルロー(現ニュー・ナーメン)から見た風景(本書424頁)
⑵ウィレム通りとライナールト通り、フルステルロー(現ニュー・ナーメン)(本書489頁)
⑶ライナールト通り、フルステルロー(現ニュー・ナーメン)(本書489頁)
⑷偽りの巡礼者のライナールト、フルストにあるライナールトの記念碑(本書490頁)
⑸ノイス近郊のディック城(本書497頁)
 
 ⑴〜⑷の写真を撮影した場所は、ベルギーの小さな集落であるフルステルロー(現ニュー・ナーメン)と、そこからわずかに離れたオランダのフルストという小都市である。⑶の写真を見ればわかるように、平日の午後だというのに集落にはまったく人の気配がなかった。人口が少なすぎてそうなっているのか、あるいは昼休みに入っていたので人通りがなかったのか判然としない。人の気配のない集落で、外国人が写真を撮りまくっている様子を誰かが見つけたら、不審者だと思われても仕方がなかっただろう。バスの便数があまりなく、バスの時刻表を気にしながら撮影したことが忘れられない。
 ⑸のノイス近郊のディック城はドイツ中西部にある。ノイスというのは、デュッセルドルフという日本人が多く住む町の隣町である。ディック城と呼ばれているものの、日本の感覚からすれば館に近い。デュッセルドルフからノイスまでは簡単に市街電車で行くことができる。ノイスからディック城まではバスで40分ぐらいかかり、荒野の真っ只中にポツンとある城であった。行きのバスのなかでは、ちょうど小学生の下校時と重なったので、小学生たちがバスに乗り込んで賑やかなものであった。これなら帰りも楽に帰れると思っていたところ、帰りのバスの便がほとんどなく、ディック城に置き去りにされそうになった。平日の午後で、14時にバスが来てからつぎの便が来るまでに3時間待たされる羽目になった。日も暮れて暗がりのなか、やってきたバスの運転手に気づいてもらえるようにバス停で大袈裟に両手を振って、ようやくバスに乗り込んで電車を乗り継いで帰宅した。あやうく置き去りにされそうになった日帰り旅行をいまでも思い出す。ディック城の写真は、これまでヨーロッパで刊行された『ライナールト物語』に関する書物にも掲載された例は一度もなく、本書ではじめて紹介したものである。そう考えると、一人旅の苦労もこれで報われたかなと思う。
  
 
◎本書に掲載した図版について
 本書では、⑴Willems 1836から図版3枚、⑵Plantijn 1566から図版18枚、⑶Oud-Hollandt 1895から図版15枚、⑷ケンブリッジ断片から図版3枚というように、各出典から計39枚の図版を掲載している。図版の研究も『狐の叙事詩』の系譜において重要な一分野を占めているので、本書のさまざまな図版も、学問的な研究に資するような構成をとった。⑴のWillems 1836から採られた3枚の図版は、当時の写本に貼付されていたとされる図版を模写したもので、『ライナールト物語』に関係する最古の図版である。⑵のPlantijn 1566から再録した18枚は、16世紀の印刷本でどのような図版が使用されたのかを知るうえで貴重なものである。また、⑶のOud-Hollandt 1895から採られた図版15枚は、オランダおよびベルギーの民衆本の流れを汲むもので、その意味で17、18世紀の民衆本あるいは辻売り本の伝統に沿ったものである。⑷に示されたケンブリッジ断片から再録した3枚の図版は、その後のイギリスおよびドイツにおける『狐の叙事詩』に見られる図版の原型をなしており、その点でひじょうに重要だと想定されている。
 どの図版も今回はじめて日本に紹介したもので、そうした意味からも本書の刊行には意義があったと考えている。

 いずれにしても、狐と関わりだしてからほとんど30年を経て、関連文献をコツコツと収集しながら研究したのちに、ようやく本書の刊行にまで辿り着いたというのがいまの実感である。

                                         2013年11月12日