ことばのくさむら

言叢社の公式ブログです

追悼・文化人類学者 渡辺公三氏

■「親しい著者・渡辺公三氏の急逝」
 
 レヴィ=ストロースの仕事と生涯を、翻訳や評論を通じて、はじめて私たちの前に、その全貌を伝え見せてくれた公三さん。レヴィ=ストロースは100歳まで天寿を全うしたのに、彼は11月に食道癌と伝えてきて、わずかに1か月で自宅で急死してしまった。リンパだけでなく、肝臓にまで転移していた。本人自身も、それほどまで進行していたとは知らなかったのだ。10歳も年下の畏友の死、理不尽な運命の仕打ちに、震駭を受けるとともに、激しいいきどおりを覚えた。受け入れられない。
 昨年来、原稿のほぼ全体をもらい、これから進める手はずだった 論集『身体・歴史・人類学Ⅲ」—批判的人類学のために』 の「構成修正案4」を11月12日に送ってきたとき、まさかこんなことになるとは思わなかった。今おもうと、そうではないというべきかもしれない。これから編集にかかるのだが、その出版に幸いあれ。かれのなしてきたこと、その核心を受けとめたいとおもう。
 

 
《訃報》
 
渡辺公三さん68歳=立命館大副学長
 渡辺公三さん68歳(わたなべ・こうぞう=立命館大副学長、文化人類学専攻)16日、食道がんのため死去。葬儀は近親者で営んだ。同大学院先端総合学術研究科長などを歴任。著書に「闘うレヴィ=ストロース」(平凡社新書)などがある。【毎日新聞2017年12月18日 18時18分、最終更新 12月18日 22時14分】
 
渡辺公三氏死去 立命館副総長、文化人類学
 渡辺公三氏(立命館副総長・立命大先端総合学術研究科教授、文化人類学)2017年12月16日午前0時30分、食道がんのため京都市左京区の自宅で死去、68歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。【京都新聞2017年12月18日 23時15分】
 

 

 
異貌の同時代―人類・学・の外へ

異貌の同時代―人類・学・の外へ

「子育ての基本になる家庭医書」シリーズ

言叢社「子育ての基本になる家庭医書」シリーズ
 
・小社では、「子育ての基本になる家庭医書」の書籍をかさねていきたいとおもっております。子どもの激しく成長するこの時期、基本的な大事な知識と知恵をお伝えしたく、刊行していきます。
2015年、『赤ちゃんからはじまる便秘問題』中野美和子著、という本を刊行しました。子どもの排泄に関する本です。今年5月、2刷りができました。
・著者・中野先生は、日々お忙しい診療の合間をぬって、保育にかかわる全ての方々、子どもの排便に日々悩ましいお母さんたち、保育園・幼稚園・小学校の先生たち、保育士・看護師の方々に、これからも普及活動を行なっていきたいということで、活動をつづけていらっしゃいます。
 

 

著者:中野美和子先生
 

赤ちゃんからはじまる便秘問題―すっきりうんちしてますか?

赤ちゃんからはじまる便秘問題―すっきりうんちしてますか?

 
 
『子どもの歯と口のケガ』
 

 

著者:宮新美智世先生
 
「歯と口のケガ」をわかりやすく解説した、初めての本です。
・子どもの歯といえば、まずむし歯が最大の関心事です。一方、動きが活発になる小児期、歯や口のケガもこの時期が最も多いのですが、その対処法は、あまり知られておりません。
・子どもの家庭内のケガは、世界に比べて、日本では高い頻度でおきています。
・「歯が折れてしまった」、家でも学校でも、まずはどう対処すればよいのか、歯医者さんに行く前に、誰にでもできることがいくつもある、といいます。
・「子どもの歯の外傷」とはどういうものか、どんな外傷に対して治療ができ、さらに外傷のその後の影響はどのようなものなのか。この影響を解消させ、最小限にとどめるための対応とはどのようにすればよいのか。
・形成途上にある子どもの歯、ケガの当初に的確な対応をうけることが、肝心です!、と「歯の外傷専門外来」を開き、長年、歯の修復と保存に力を注いできた著者が、伝えます。
★あわてずにケガに対処するために、歯の基本的知識と知恵を伝える。予防医学の副読本として、また公共図書館学校図書館、家庭の医学書としてお備え下さい。
 

 

 
 
子どもの歯と口のケガ

子どもの歯と口のケガ

 

 

 

《新刊》角田忠信著『日本語人の脳』のお知らせ

角田忠信著 『日本語人の脳』 ― 理性・感性・情動、時間と大地の科学
 

 
日本語人は持続母音と虫の音を言語脳のある左半球で受容する。
ところが、現代の言語理解の基準となってきた欧米言語学では、言語基盤にある母音の感性・情動性が理解できない。著者はこの差異に科学的に最初に気づいた。
半世紀にわたって、日本語人の心性、情動のありようを追求してきた、齢90歳に近い著者による畢生の論文集。
 
●本書の著者・角田忠信博士の学説は、発表当時、多くの人たちの関心をひき、高い評価を得ながら、専門家たちからは批判あるいは無視され、葬り去られてきた。著者が提唱した「日本人の精神構造母音説」は、さまざまな誤解をふくんで流布したが、絞りこめば、たった一つの、著者による実証的事実から出発したものだ。
●たった一つの実証的事実とは、欧米語を母語とする人では、持続母音(自然母音)は言語脳が位置する脳の左半球優位では受容されず、右半球優位で受容される(この実験をおこなったのは、著者ではなく米国の研究者である)。言いかえれば、欧米言語では、持続母音(自然母音)は「欧米言語の音声範疇」には入らない。子音―母音―子音といった音節としてまとまって、母音が「音声範疇」の中に入った時だけ、脳の左半球優位で受容される。
●一方、日本語を母語とする日本語人では、持続母音(自然の母音)がそのまま「日本語の音声範疇」に入るため、即座に脳の左半球優位で受容される。日本語人以外で、持続母音を「言語の音声範疇」とする言語系は、著者が確認したところでは「ポリネシア諸語」以外には今のところ見当たらない、という実験実証に過ぎない。
 また自然音、たとえば「虫の鳴き声」を、日本語人は「日本語の音声範疇」と同じ領域の地平で受けとめているが、欧米語人では「雑音」として右半球で聞き取ったり、鳴いていても聞き取れないことが多い。
●著者が提唱した「ツノダテスト」については、厳密な追試の探究がなされずに毀誉褒貶を惹き起こしてきた。しかし、著者の探究は一貫した真理の探究だったことに疑いはない。ツノダテスト以外の方法による実証としては、菊池吉晃氏による脳波と脳磁図(MEG)を用いた実証だけだったが、本書では巻末に掲げたように、著者の子息・角田晃一氏(東京医療センター感覚器センター部長)ほかによって、作動時の脳内血流変化の測定にもとづく新たな実証がおこなわれ、国際的な専門誌Acta Oto-Laryngologica, 2016にその論文が掲載された。これにより、著者の日本語母音論は追試による基礎的な証明を得ることとなった。
 
【主な目次】
序にかえて―私の研究の歩み
本書を読むにあたって
第一部 日本語人の特質―左右脳の非対称性と脳幹スイッチ機構
1.脳の感覚情報処理機構からみた日本人の特徴と今後の脳研究の方向
2.人の脳の非対称性と脳幹スイッチ機構の意義
3.ツノダテスト、新法の開発⑴―打叩する位置によるツノダテストの検討
4. ツノダテスト、新法の開発⑵―脳の機能差をめぐる最近の動向と脳の加温法について
5.左右脳と和洋音楽
第二部 日本語人と脳の情動性
1.ヒトの嗅覚系、情動脳、自律系の非対称性について
2.性機能の脳のラテラリティ
3.脳で行われる自他母音の自動識別について
4.自他識別機構の研究―「母の声」、「母の視線」の優位性
5.脳センサーから見出された新しいシステム
6.脳センサーの反応から推測される時代の変革
7.人脳センサーによる地殻歪みの評価と予期せぬ知見
8.人の脳の非対称性と脳幹センサーの意義―四〇・六〇系、十八日系
第三部 人の脳にある生物学的時間単位と脳センサー
1.人の脳にある正確な一・〇〇〇〇秒の時間単位
2.人脳に見出された生物学的基本時間単位一秒の意義
第四部 対話と反論
1.脳の中の小宇宙―驚くべき脳センサーの話(対話者 峰島旭雄氏)
2.不思議な日本人の脳と日本語の力―われわれの美意識はどこから生まれたか(対話者 林秀彦氏)
3.『日本人の脳』への誤解をとく―P・デール氏への反論
おわりに
【最新報告】Acta Oto-Laryngologica掲載論文の要約
角田晃一氏ほか)
角田忠信著作目録
 
【著者紹介】
角田忠信 つのだただのぶ(1926〜)
東京府中野区生まれ。1949年、東京歯科医専卒(東京医科歯科大学の前身、耳鼻咽喉科)。
1951年に同大学助手、1957年に講師、同年に「鐙骨固着度の検出法」で東京医科歯科大学にて医学博士。
1958〜70年、国立聴力言語障害センター職能課長。1983年、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授。
1986年、『脳の発見』で日本文学大賞(学芸部門)受賞。1990年、東京医科歯科大学名誉教授。
 
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既に書評が発表されておりますので、掲載いたします。
 
 
東京新聞書評、2016年5月29日

 
 
週刊読書人書評、2016年7月8日号

 
詳しい内容は言叢社のホームページをご覧ください。
リンク→http://gensousha.sakura.ne.jp/saishin/n-n-saishin.html#mo
  

『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』書評

言叢社が本年2月に刊行いたしました『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』の書評が掲載されましたので、ご紹介いたします。
 
 
前田耕作氏書評、週刊読書人2016.04.22日号

  
 
※栩木伸明氏書評、図書新聞

 
 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 
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●読者からの感想文(編集部あて)

 『ジョイスの罠』を拝読させていただいた者でございます。 79歳の老人です。とてもすばらしい本でした。スリリングな本であり、ジョイスの入門書であり、かつ、出門書であったと存じます。五度ほど、くり返し拝読させていただきました。ありがとうございました。秀抜な研究書であると存じました。もちろんわかったなどとは申しません。私は言叢社なんて、本屋さんがあるとは知りませんでした。しかし、驚嘆したことは、確かでございます。ありがとうございます。
 編者のおふたりを除かせていただくと、第五章「レースの後」、第十五章「死者たち(一)」が印象的でございました。第八章「小さな雲」も。これが、五回拝読させていただいた“私の三点”でございます。どちらかと云うと理系体育系であると思っていますので、遺憾と思われるかも知れませんけれども。しかし、After the Race は、英文も読んだのですけれど、この第五章の筆者には、ほとほと読むたびに、感動したことを率直に申し述べさせていただきたく存じます。数学的といいましょうか。音楽的です。みごとです。「はまった」かどうかは、私自身にもわかりませんけれども。ケレン味のない叙述と存じました。このひとは何かがある。安い本ですね、学術書としては。ありがたいことです。御清栄を祈念します。失礼しました。ごめんください。           
                           2016.4.11 T.H.再拝
○索引も入念につくられているようです。
○『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集I・Ⅱ』はすばらしいものでございました。
 もう三十年以上も前になりましょう。東京大学の広い25番教室でバンベニストの講演を聴いたことがあります。受講者は、20名ほどだったという記憶がございます。英語でなされたと思います。
○冗語をかさね失礼をいたしました。いわゆる妄言多責です。お許し下さいますように。
 
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ご丁寧な感想文を寄せていただき、ありがとうございます。
著者や編集者の励みとなります。
言叢社では周辺分野の出版物も刊行しておりますので、ご高覧いただければ幸いです。
 

インド=ヨーロッパ諸制度語彙集1 経済・親族・社会

インド=ヨーロッパ諸制度語彙集1 経済・親族・社会

 

《新刊》 『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』

《執筆者だより》
 
ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法』の執筆者お二人から文章を寄せていただきました。
 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 

 
〈読者共同体〉の片隅に        小林広直
 
昔々、といってもせいぜい十年くらい前のことなのだけれど、学部で最初に受けた授業の 先生が、「異化 (defamiliarization)」という文学理論を解説しながらこんなことをおっしゃっ た――「まあ、こういうのがわかるようになるには、十年くらいかかりますねぇ」。
受験勉強における効率性に追い立てられ、何とか文学部に入れてもらった十八歳の私は、 その言葉に魅了された。いや、ほっとしたという方が正確かもしれない。そうか、十年も時間 をかけていいんだ。学部の一年生がいじましく抱えていたそれまでの常識や自明性を、悉く しかも淡々とした口調で打ち破ってゆくその先生の姿は、私の脳裏に鮮やかな一枚のタブローとして刻まれている。タイトルを付けるならば、「文学の世界にようこそ」とでもなろう か。
とはいえ、ジョイスを読むためには、もちろん十年では全く足りない。私のような平凡な 才能の者にとっては、まるまる三百年あっても足りない気がする。それ故、その後またして も流されるがままに博士課程に入り、ジョイス協会が主催する『ダブリナーズ』の勉強会に 参加したとき、私は「文学の神様」(というのが仮にいるのだとすれば)から、二度目の歓待 を受けた。ジョイスの世界にようこそ――。
ジョイスに魅了された諸先生、諸先輩方が一堂に会し、文字通り一行ずつ各短篇を読んでゆくその勉強会は、本当に刺激的だった。ひとつの人生では到底読み切れない作家を、曲がりなりにも読めるようになる方法は、ただひとつ、集って読むしかない。知恵や経験を持ち合って、それでも尚上下関係の枠組みを超えて、忌憚のない意見を言い合う。そうして多様に開かれた、しばしば「答え」の出ない幾多の読みが、そのテクストの豊かさを雄弁に物語っていたのは言うまでもない。
本論集『ジョイスの罠――『ダブリナーズ』に嵌る方法』は15篇すベてを扱った日本初の論集であるが、「序」や「あとがき」にあるように、出発点は研究会であり、さらにはピア・リーディングの手法を採ることによって、誰もが他の執筆者の恩恵を受けているという、その 「互恵性」の深さにおいても日本初なのではないか、という気がしている。
ジョイスの代表作『ユリシーズ』(1922)についての有名な言葉に、「『ユリシーズ』を読むこ とはできない、できるのは再読することだけだ」(Joseph Frank)というものがあるが、これは もちろん『ダブリナーズ』にも当て嵌まる。ひとつの言葉が、時には短篇全体の持つ意味を覆 してしまうほどに、私たちは再読の度に、それまでの作品理解が更新されて行くのに立ち会 う。まさしくそれは見慣れたもの、知っていると思っていたはずのもの(familiar)が、見慣れ ないもの(strange)になるという「異化」体験に他ならない。
川口喬一が名著『「ユリシーズ演義』のあとがきで述べているように、ジョイスを読むことは、ジョイスについて書かれたものを読むことでもある。勉強会での議論を含む、膨大な「先行」研究との果てしない対話の中で、自身の作品解釈の幅が常に揺れ動いていることを誰もが体験する。本論集でも繰り返し参照されたドン・ギフォード (Don Gifford) の注釈書は もちろん、数十冊の先行研究、版ごとに異なる註や数種類の邦訳、当時のダブリンの写真集 などを机に山と積んで、私たちは勉強会に臨んだ。たとえ、今あなたが一人で机の前にいる としても、外部の別のテクストを常に誘導するジョイスの作品にあって、そこにはささやか な〈読者共同体〉が誕生している。
研究者は往々にして、原文で読まなくてはわからない、ということを言ってしまいがちだ (だって苦労しているから)。まずは翻訳でいいのだと思う。そして一篇毎の全体像が見えたら、翻訳と辞書と上述の参考書などを脇に置いて、原書をゆっくり味わって読むのがいい。そう、時間をかけていいのだ。効率性というスピード狂ばかりが跳梁跋扈する現代社会にお いて、況してや人文学不要論が囂しい昨今の日本にあって、わからないこと、立ち止まるこ と、繰り返し読まずにはいられないこと、すなわち〈ハマる〉ことは、どんなにわずかであれ 私たちの自由を担保している。小説であれ、詩であれ、映画や音楽、演劇やマンガであれ、あらゆる文学作品は、長い時間留まったその世界から離れて、ふと周りを見回したとき、これ までとは異なる世界に私たちを連れ出してくれる。そして、ジョイスの作品には、あなたが変わることを通じて、その様相が確実に変わり得るだけの豊穣性と複雑性が常に約束されている。
ジョイスの罠』は最先端の「研究書」であることを目指した。それ故に、さらなる「ジョイス=難解」というイメージが流布してしまうかもしれない。しかし、それは本書の望むところではない。私たちは(なんて若輩者の私が言っていいのか、とは思うけれど)、ジョイス、 あるいは「文学の神様」に呼びかけられ、呼び止められてしまった者として、言い続けたい―― 「ようこそ」そして「これからもどうぞよろしく」と。
あなたの机の上に広げられた『ダブリナーズ』の〈読者共同体〉の片隅に、本書が加えられることを願ってやまない。
 

 
 

 
 

アールズ通りにあるジョイス像 (2011)部分
 
 




 

「複写」の主人公に因んで名づけられた、宿屋とパブを兼ねるFarrinton's。テンプルバーの一角を占める、1696年から続く最古のパブの一つ。
 

フリン神父が住んでいた布地屋があった場所(パーネル通り79番地。現在は24時間営業の店になっている。)1994年撮影
 

ホウスの丘からの眺め―エヴリンは家族での楽しかったピクニックを思い出す (2001)
 

メリオン・スクエアの角(このあたりでレネハンはコーリーと女中の帰りを待ちあぐむ) (2015)
 

アラン諸島のひとつ、イニシュモア島(ダン・エンガス遺跡のある断崖)(2003)
 
 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 

ふくもとまさお氏講義・感想レポート

昨年の11月15日の記事で紹介しましたように、ふくもとまさお氏の著書刊行に際して、2015年夏から秋に2回来日されて、各地大学や市民の方々との8回にわたる「対話」がおこなわれました。
「戦後70年となる今年、特に日本の若い人たちとドイツの戦後について話をして対話したかったから」という著者は、戦後とくに東ドイツの激動の時代に遭遇し、その「対話」の重要な経験の実感から、今日本の若い人々の中にその「対話」への芽を感じるとおっしゃいます。
今回、横浜・フェリス女学院大学での学生さんたちとの会は、とくに印象深いものだったとの話をうけて、提出された感想文を抜粋して、掲載させていただくことにしました。一つの感想という小さな声が、どう受けとめられ、ひらいていくか、世界に働きかける身近な通路を実感していただければと思い、ここに収録いたしました。 
 
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ふくもと まさお氏 講演 ★学生さんの感想抜粋
2015.9.29 於:フェリス女学院大学、講座:サスティナビリティとジェンダー、担当教師・高雄綾子先生
タイトル「ジェンダーの視点から戦争加害国ドイツの話をしよう」
 

 

●ふくもと氏の講義で印象に残ったことは、「戦争には人種差別と性差別がある」ということです。私は大学でジェンダー問題に興味を持ち、講義を受けてきました。戦争は人々に「差別」の心を持たせるきっかけでもあると思います。戦争から生まれた差別は多くあります。現に日本もその1つです。差別は世界共通といっても過言ではなく、なかなか拭いきれない問題でもあります。歴史が刻まれると同時に、差別の歴史も刻まれています。私たちがそういった差別心を少しでも拭いきるためには相手を知り、理解することも大切なのではないかと思います。古い歴史や考えにとらわれず、向き合っていく心を持つべきなのではないかと思いました。

 

●講義を欠席してしまったため、お話のまとめの説明を聞いていた際、とても印象深い表現が目につきました。それは、「森」のように多様性を持つことで社会を長持ちさせる、という内容のものでした。大変分かりやすく、また考え深いものでした。私たちの世界もしくは個人は、多くの問題や価値観を持っているため、互いに完全に理解し合うことは難しいです。ですが、互いの「妥協点」を見つけることで、傷つけあうことなく、人々が皆幸せでいられる「共存」が可能になるのではないかと思います。

 

第二次世界大戦中のドイツに関しては様々な授業で耳にしたことがあったが、空襲体験者についての話を聞くのは初めてであった。また強制収容所の慰霊碑についても、ユダヤ人に対するものと、それ以外の迫害された人々に対するものと分かれているとは思っていなかった。この事実に対して、戦争が終わっても戦時中同様に差別が存在しているように感じる。ドイツは戦争犯罪を犯したのはナチスであり、ドイツでなはいと主張していると聞いたが、それは責任逃れをしているようにしか感じなかった。そんな中、空襲にあったドイツ人とポーランド人が交流していると知り驚いた。自国が空襲を行った土地に赴こうという考えも、加害国の相手と会おうと思った事も、勇気のいる行為のように思う。また和解するのは難しいのではないかとも思った。しかし、実際は和解に成功しており、もう10年以上にもなるという。このように被害国と加害国の人同士が和解出来ていると聞いて、日本も近隣諸国との和解が出来れば良いのにと感じた。戦争体験者の話の中には、何十年も話が出来ず、最近やっと自分の体験を話せるようになった人がたくさんいる。そのような人の話に耳を傾ける事が戦争後の和解へと繋がり、平和への第一歩となるのではないかと考えるようになった。

 

●ドイツの視点から見た第二次世界大戦のお話は、今まで聞いたことがなかったものが多く、とても新鮮だった。繰り返してはならないからと、伝承の意味も込めて定期的に議論の話題となる第二次世界大戦について、小中高校時代に散々学んできたにもかかわらず、今まで日本の視点にたった考察しかしたことがなかったことに気が付き、改めて、物事をいろんな視点から考察することの重要性を学びました。
 また、授業中に取り上げられた「表現の自由が認められているのはなぜか」というテーマは私にとってとても興味深いものでした。社会が長く持続するためには意見の多様性が必要だからという一つの答えに対して私も同意しますが、しかしその多様な意見をすべて汲み取る形で結論を出すのは極めて難しいという事実に一種の矛盾を感じました。社会は多様な意見により成り立っているのにも関わらず、民主主義によると結局は多数決で物事が決定されていくので、少数派の意見は反映されることが極めて稀なのです。物事を一面から見て決めつけてしまうのではなく、批判的に受容することの大切さを改めて実感しました。

 

ブルハチンスカさんはヴィエルニ(ポーランド)でナチス・ドイツ空爆にあいました。兄は犠牲になった1人だった。ドイツから戦争体験者が会いに来ると聞いて、会いたくないと思いました。なぜなら、兄を殺し自分の少女時代を台無しにしたドイツ人だったからです。最初は和解もする気もなく、会いたくもないという感情だったのにも関わらず、だんだんと考えを変えて、和解は、戦争体験者にしかできないといって和解を試みたのも今の社会を築いていく基盤になっているのではないかと思いました。戦争をどのように伝えればいいのか模索してて、無視されてきた個人の方もいることがわかりました。和解したくないという考えを持っている人も中にはいるのは当たり前です。新しい一歩を踏み出すのはとても大切だと思いました。
 今の世界はこの当時に比べたら断然平和であることは間違いありません。平和であることが、幸せで世界がよいものになる基盤なのだと思いました。戦争などはこれから先絶対あってはならないし、一人一人がその世界にむけて、どう貢献する気持ちを持つことができるかが、大切なことだと思いました。

 

●私は大学を卒業したのちは、企業で第一線として働きたいと思っています。しかし、女性が思う存分に力を発揮できる環境が本当に存在するのか、不安で仕方ありません。戦争時に女性が守られなかった理由をこうした授業を通し、学んでいくことができると嬉しいです。私たちは「戦争」と言われても歴史上の出来事のひとつに感じてしまいます。歴史の教科書で習っただけで、概要しか知らないことが現状です。しかし、ふくもと氏のように概要ではなく戦争の中身を伝えてくださる方がいらっしゃると、戦争が少し身近なものに感じられ、問題解決に対して真剣に考えることができます。今回お話ししてくださったことを忘れずに、今後は戦争に対して今まで以上に真摯に向き合っていきたいと思いました。

 

●ふくもとさんがドイツ人女性の差別について話してくださり、それを聞いて、日本人として私は第二次世界大戦で被害を受けた人々についてもっと知っておく義務があると感じた。私も含め、私と同年代の若者たちは、戦争について知らないことが多すぎると思う。戦争を経験したお年寄りの方々が生きている間に、本人から話を聞き、私たちの次の世代に受け継いでいくことが私たちの役割であると思う。私の子どもや孫の世代になった時には、戦争の悲惨さを知る人が減り、同じような過ちが起きてしまうかもしれないと考えると恐ろしい。

 

●講義を聞いて、戦争はまだ終わってないのだと思いました。今だに被害者の方たちの遺骨が発見される、日本は戦後の責任問題を曖昧にしている、そして今また戦争を行える国に着々となりつつある状態です。私たちの世代は70年前のことを経験していないために戦争という物をよく知りません。しかし、私は戦争に限らず無関心こそが一番いけない事だと強く感じます。戦争は今の日本にはありません。だけど世界を見たときに戦争や紛争、貧困問題、差別など様々な問題が起きています。日本においても差別や貧困問題などは関係のない話しではなくなっている状態です。無関心、私には関係がない。そう感じているからこそ、日本ではこのような問題を知る人たちが少ないのだと思います。70年前の出来事、今日の世界で起きている出来事から学ぶべきものがあるのではないでしょうか。そしてそれは必ずしも自分に関係のない話しではないと感じます。無関心、それも1つの差別のように感じます。私自身もこのようなことを言っていますが、実際は無知に等しいです。もっと世界の事を学んでいきたいと強く思える講義でした。とても貴重な体験をありがとうございました。

 

●講演を聞いて、「敵国同士の戦争被害者同士の交流」「持続可能な社会には多様性が必要」の二点が印象に残っている。
 私はこれまで被害者性ばかりを主張する日本の戦争番組に疑問と怒りを感じていた。自国が行った残忍な所業の数々を報道せず、被害ばかりを強調する夏が来るたびに、「なぜ被害者面ばかり強調するのか」と苛立ちを募らせた。しかし、今回の講義から、被害者の経験談が対立する国の被害者同士のわだかまりを解く術となりうることを知った。
 確かに報道番組に見るような「一方的な被害談」は何の解決にもならないどころか、「自国の加害に目を向けず、被害ばかりを主張するとは」と、双方の溝を深める原因の一つになっているとも言えよう。それは近年再び注目されている日本と韓国にも言えることだ。日本では原爆被害者、韓国では元慰安婦といった戦争被害者同士の傷を見せ合うことで、両者を敵国民としてではなく、同じ戦争被害者として受け入れ合うことが、日韓関係の改善及び多様性を受け入れる社会形成の第一歩となるのではないだろうか。

 

●ふくもと氏の話を聞いて、まずヘイトスピーチがドイツでは犯罪であるということを初めて知った。私が高校生の時、朝鮮学校に通う生徒が見ず知らずの人から暴言を浴びせられたり、それに加え、物を投げられたり、制服として着ていたチマチョゴリを切られたりしたことがあったと聞いたことがある。何も罪のない人が、少し違うということだけで傷つくということは悲しいことです。その言動がどれほど重いものなのか、どれほど悪いことなのか伝えるためにも、日本でもヘイトスピーチを行うことは犯罪だとみなすべきだと考える。また、社会の多様性であるために、色々な人の意見がでることによって、社会に持続性が生まれると改めて感じることができた。自分と違う視点の考えがあるからこそ、自分の意見の間違っている点、自分の意見の重要さが伝わると思うのでどの人の意見も大切なものだと考える。私自身、他人と違う意見を持っていると嫌な印象を与えてしまうのではないかと考えてしまうことがある。人と違うからこそ大切な意見であるので、お互いの意見を分かち合うことが大切だと改めて感じることができた。

 

●私は従軍慰安婦問題について興味があり、何度も中国や韓国の学生とこの間も話し合いをしていたほどなので、とても印象に残りました。私はあまり人に言うことではないのですが、強姦されたことがあるため、従軍慰安婦や性的犯罪の被害者のトラウマはもう計り知れないものだと思うので、とても印象に残りました。また、この間本学主催の、ジャパンスタディーツアーに行ってきたのですが、そこで戦争について語りディスカッションを広島女学院大学の学生さんを交えしたのですが、やはりその時の話し合いの時に出たように、戦争を起こさないための工夫というものは後世にどのように伝えるかが肝になるなと思いました。

 

●戦争には人種差別と性差別があると知り、よくよく考えてみたら確かにそうだと思いました。人種が違うために差別され戦争が起きたり、女だからという固定観念による差別やそれらは戦争が終わった今でもまだ残っているなと感じました。平和や発展のために戦争をしているが、それは差別や女性や障害者など立場的に弱いと考えられる人への不平等さによって成り立っているのだと改めて気づかされました。所詮私達に出来ることなんてなにもないと今まで思っていましたが、身の周りの平和や平等に気づき大事にすることや、私に出来ることは考えれば小さなことから少しずつできることはあるのだと思いました。

 

ジェンダーと戦争の繋がりについて考えさせられました。戦争というと国という大きな規模で判断してしまいがちですが、その国で生きる子どもや女性、また少数民族といった弱い立場の人々に対する差別があったことも語られる必要があると強く思いました。

 

●追悼だけでなく、自分たちの生活の中に持ち込んで伝える、という内容は私にとって必要なことだとわかっているけど難しいことであると思う。戦争には差別が存在する。戦争において差別をされて亡くなっていく方々はどう思って亡くなっていったのか、周りはどう思っていたのか、差別があったことを知って現代の若者はどう思うのか、それぞれの意見は違うと思う。その意見を話し合う場を設けるべきである。祖父母、両親、友達、身近な人と話し合うことから始まるのではないかと思う。そこから、子や孫に長く伝えていくことが重要である。しかし、いまの自分に意見が言えるとは思えない。ここが難しいのだと思う。私たちはまだ意見を言えるほどの知識がない。しっかりと知識をつけて、問題点を少しずつ挙げていけば自分の意見を言えるようになる。このひとりひとりの小さな行動が重要であると、ふくもと氏の講義から気づき、考えることができた。

 

●なかなか私たちが普段生活している中では、「戦争」と聞いてもパッと思い浮かぶことは少なく、ほど遠い、あまり関係のないものと思いがちだ。しかし、ふくもとさんのおっしゃっていたように、隣国とどう平和を維持していくのか、戦争体験者の高齢化が進む中で、過去に起きたこの悲惨な事実をどう次の世代へと伝えていくのか、どう私たちの生活に取り込んでいくのか。それらの課題を自覚しなくては、日本においても本当の意味で戦争が終わったとは言えないのではないかと思った。まず私たちは、女性や子供、地元の人たちの努力、差別や不平等をはじめとした歴史の事実を正確に、偏ることのない立場で知り、自分たちにとっての平和なところ、しるしはどこか、平和とはなにか、世界平和ではなく「地元平和」を考えることが必要だとわかった。また、それらを考える上で、社会に多様性や持続性が必要であり、様々な考えを持った人を互いに尊重できる人が必要だというお話が印象に残った。戦争や平和を考えるというと、すごく大きなスケールの話でなかなか難しく捉えてしまいがちだが、自分たちの身の回りから考え、それが間違っていた時には、互いに声を上げていけばいいと聞いて、戦争や平和、差別と聞いたときに受ける印象がこれまでとかなり変わり、もっと身近なものに感じることができるようになった。

 
 

 
ドイツ・低線量被曝から28年―チェルノブイリは終わっていない

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