東日本大震災、福島原発事故から13年がたちます。9月から開始された、炉内の核燃料デブリ880トンにおよぶ処理の、そのうち数グラムといわれる最初の試験的な取り出しにようやく先月成功し、「廃炉が新たな段階に入った」と報じられました。
同時に、先月は被災原発として初となる女川原発2号機の再稼働があり、元旦から新たな災害に次々とみまわれた本年、人々の関心が薄れゆくなか、原発事故を知らない世代も増え、被災当事者の経験の継承の難しさに、年々感じ入ります。
言叢社2024年の新刊である、被災当事者のいのちをめぐる思想と環境倫理学による応答の書籍、『〈証言と考察〉被災当事者の思想と環境倫理学 福島原発苛酷事故の経験から』の刊行によせて、編著者である山本剛史(やまもとたかし)さんより、以下ご寄稿をいただきました。新たな年を迎えるこの折に、どうぞお読みください。
はじめに
(以下で、『被災当事者の思想と環境倫理学』は「本書」と記し、「本書」からの引用及び参照は頁数のみを示す。)
2024年3月に刊行した『〈証言と考察〉被災当事者の思想と環境倫理学 福島原発苛酷事故の経験から』は、編著者である山本にとって、はじめて筆頭著者を務め、第2部に至っては単独で書き下ろした書物であり、主著と言ってよい本となった。本書は科学研究費基盤研究C「環境倫理学と民衆に根差す思想の応答」の助成を受けて執筆されたのだが、当初その研究期間が2019年から2021年までの3年間であった。要は、コロナウィルス禍等の影響もあって3年間で書き終えることができなかったので、研究期間を都合2回も延長せざるを得なかった。そうしてみると難産の末に刊行された書物ということになり、今こうして振り返る私の感慨もひとしおである。
執筆が長引いた理由はコロナウィルス禍以外にも様々あるが、フクシマ原発労働者相談センター、いわき放射能市民測定室たらちね、希望の牧場・よしざわ(元 希望の牧場・ふくしま)、前双葉町町長 井戸川克隆さんの4組の証言を、つまるところ独りでどう引き受けて、どう倫理学研究を前へ進める書物にしたらいいのか、構想がなかなかまとまらなかったのが大きな要因であった。事故時、あるいは現在、事故を起こした第一原発からどのくらい離れた場所で生きていた/いるのか、つまり、立地自治体の双葉町に住み、事故当時は町民避難の陣頭指揮を執っていて実際に爆発した第一原発から飛散した「死の灰」に値する物質を浴びた井戸川さん、浪江町の牧場から一歩も退かず、2011年の3月17日に第一原発の真上から放水する自衛隊のヘリコプターを目視していた吉澤さん、いわき市で放射線のリスクについて納得のいく理解を得ることができず、生活に根差した形の放射線の測定を始めた「たらちね」を創設したメンバーの方々、原発事故以前から反原発運動や原発構内労働者の被ばくの問題と戦ってきた石丸小四郎さんや事故後に除染や廃炉作業に伴って数多く発生した労働問題の最後の砦として奮闘なさった秋葉さんや鈴木さん、それぞれ皆さん原発から被った影響や向き合い方が全く違っており、それが各々方の考え方にも反映されている。こうした各自の考え方や被害実態の違いを超えた中に、哲学倫理学的に剔抉し考察するに値するいかなる本質がはらまれているのだろうか。
筆者は当初から、第1部にインタビューをなるべく元の形のままに収めるようにすると決めていた(科研費メンバー間の了解事項であり、インタビュイー各位の同意も得ている)。これによって、当事者本人の証言を確保することはできる。もちろん、さらに多くの証言を収め、原発事故被災実態をより複眼的に構成することができれば、それに越したことはないが、筆者の考察の素材としてはさしあたり多すぎるくらいであった。
本書第一部は上に挙げた4組のインタビューから成る。本書における筆者の目的は、一つは筆者自身が原発事故がいまだ収束していない状況を前提として環境倫理学を刷新して読者の皆さんに問うことと、もう1つはなるべく多くの読者の方々にとりわけ本書の第一部を読んで頂き、読者の皆さんそれぞれに福島原発事故に関して大いに考えを深めて頂くことであった。今回、このブログを書く機会を言叢社から頂き、2つの目的のうちの後者に鑑みて、読者の皆さんが4つの証言を読み進めて自分なりに考えて行くことの一助となるように、適宜本書等から引用しながら書いていきたい。極めて乱雑な文章であるが、お読みいただければ幸いである。
<リスク社会と専門家の言葉>
2011年以降の環境倫理学を振り返ると、被災当事者個々において異なる被害の実態の記述に拘泥するばかりに、日本国内外に広がる核兵器・核発電推進勢力によって規定されてきた、個々人の生のあり方を拘束する構造への目配りが決定的に欠けていた論考があったことに気が付く。これは研究者の怠慢というべきである。
一方、古くは中川保雄『放射線被曝の歴史』にはじまり、原発事故後に中川保雄の仕事を引き継ぐ形で書き下ろされた島薗進の『つくられた放射線「安全」論』『原発と放射線被ばくの科学と倫理』の2冊に至る一連の著作の中で、日米両国を舞台として、さらにチェルノブイリ原発事故後はベラルーシやロシアなども舞台にして、核兵器核発電を推進したい政府やICRP(国際放射線防護委員会)をはじめとする各種委員会に参加する多くの人士たちが低線量被ばくの危険性を少しでも低く表現しようと画策するあり様が描き出されている。これらの業績を参照しさえすれば、原発事故の直接の被災者のみならず、全国民がリスクを定義する権力の支配下、影響下にあることがつまびらかになる。国や福島県がはっぱをかけるほどには帰還する住民の割合が高まらない中で、「復興」の掛け声はとりわけ県外者にとって耳になじむものである。ICRP刊行物103(2007年勧告)において、緊急時被ばく状況と現存被ばく状況との境界線である20m㏜/年という被ばく基準は、避難指示解除の基準値として、例えば首都圏人にはほとんど疑問も持たずに受け入れられているようにしか見えない。こうした形で、首都圏その他の被災地以外の住民もまた、被ばくリスクを定義する権力の影響下にあり、日常生活のありようを見えないところで規定されているというわけである。
ところで、2011年3月12日から3月14日にかけて、福島第一原発1号機と3号機が相次いで爆発した際、当時の枝野幸弘官房長官が、明らかに原発が爆発している動画が報道されているにもかかわらず、これらを「爆発的事象」と呼称したことを覚えている方々もおられるのではないか。安富歩は名著『原発危機と「東大話法」』(明石書店、2012年)の中で、こうした枝野官房長官をはじめとする政府並びに関係者の一種独特の「いいかえ」を、「原子力安全欺瞞言語」と称し、この欺瞞言語を自由自在に操る語り口を「東大話法」として整理して洞察した。
だが、実はこの「爆発的事象」という言葉は枝野官房長官が国民をコントロールしようとしてその場でとっさに思い付いた言葉ではない。セジン・トプシュ『核エネルギー大国フランス 「統治」の視座から』(エディション・エフ、2019年)によると、1989年に定められたIAEA(国際原子力機関)の原発事故の評価尺度は事故を重大性に鑑みて7つに区分するが、それら7つは事故ではなく事象としてまとめられる。この尺度をつくるときに、IAEAの担当者は「原発に関しては徹底して異変と呼びならわすフランスの専門機関」を参考にしたのだという(セジン・トプシュ、172頁)。枝野官房長官の言葉遣いでさえ、チェルノブイリ事故後のリスク管理を核兵器核発電推進者にとって都合よく進めようとする国際的な動向において定められたものである。
このことは、本書で言えばウルリヒ・ベックによるリスクの「定義」の問題と対応している。(ウルリヒ・ベック『危険社会』、法政大学出版局、1998年)ベックによると、近代化によって人々は生まれによる差別を乗り越え、社会の中で自分の場所を自分で見出すことができるようになったのだが、近代化の進展に伴って生じた新しい問題によって、社会そのものが「リスク社会」へと移行した。原子力発電は、そのエネルギー生産力において近代化の頂点に位置付けられる。原子力発電所本体が不可逆的なダメージを負うような事故が生じたなら、大量の放射性物質が放出される。その放出は、東京電力が言うところの処理水の放出という形でも継続中である。放出された先で放射性物質は自然界に取り込まれる。つまり、自然界は私たちの科学技術による生産と排出のサイクルの中へと巻き込まれる。これをベックは「第二の自然」と名付ける。「第二の自然」の構成物質には、他にもPFAS(有機フッ素化合物)をはじめとする人工化学物質も含まれる。その「リスク社会」においては、生まれ育ちの経歴や環境を問わず、人々はだれでも押しなべて放射線や人工化学物質のリスクにさらされる。リスクを回避する逃げ場がなくなるのが「リスク社会」の大きな特徴とされる。
しかし、放射性物質もPFASも五感で直接感知できないことから、その存在と危険性を科学を通して知るよりほかはない。そこで、先に述べたリスクの「定義」が重要になる。すなわち、放射性物質はそこにあるのか、無いのか、あるとしたらどの程度あるのか、そこにある放射性物質は危険な量なのか、危険ではない量なのかを、科学的知識を通してしか知るすべがない、ということなのだ。そして、その科学的知識に通暁しているのはその分野の専門家である。ここでの科学は自然科学を指す。自然科学の研究は大抵、非常に費用がかかるので、非営利の独立した組織においてこれを継続することは通常あまり考えられない。したがって、行政府や企業の一員として、自らが属す組織の方向性に従って研究する専門家が多くなることが考えられる。
そうした専門家は、どのような言葉を話すのだろうか。政府が定めた基準値に沿って、危険ではない、と言うのだろうか。その基準値は、どのような基準なのだろうか。大きな事故に見えるが、あれは事故なのだろうか。事象とは事故とは違うのだろうか。私たちは、専門家や行政府が操る言葉を通してリスクを認知したり、しなかったりする。リスク社会とは、権力者に連なる専門家がさだめる言葉に基づいて、人が生きる社会である。
前置きが大変長くなってしまったが、ここでは原発事故の影響の下にある社会で取り交わされる言葉、そこに生きる人々が口から発して、何かものを考える時の言葉というものが、専門家がさだめる言葉だけではなく、本書第一部の「証言」のようなそれと全く異なる言葉と常に緊張関係にあると考える。そこで以下、「証言」の勘所をご紹介する形で、リスク社会における言葉のせめぎ合いを可視化することを試みようと思う。
<リスクを定義する言葉と抑圧される言葉>
本書の中で私たち科研費メンバーがインタビューした方たちはリスクを定義する権力を有する者たちとは異なる言葉を話している。過去の環境保護・公害反対運動に携わったうちの少なからぬ人々も同様である。いや、表立って運動したり活動したりしていなくても、多くの人はその内に自分自身の言葉を秘めているのではなかろうか。
本書第1部の証言の中から、その「異なる言葉」をいくつか取り上げてみよう。
「それから、福島県内の開業医の先生なんかも牧場に来てやっぱり言うには、『いやあ、子どもたちの甲状腺がんの問題は、おかしいと思うけど、医者は言えないんだ』と。公的な立場の、例えば学校の先生、役場関係職員、医者、言えないんですよ、これは。」(140頁)
本書第1部第3章、浪江町の福島第一原発から約14㎞の地点にある「希望の牧場・よしざわ」を営む吉澤正己さんのインタビューの一節である。吉澤さんは事故発生当初から今でもなお、自分の牧場や他の畜産家が営んでいた牧場で被ばくした牛たちを殺処分せずに死ぬまで世話をし続ける「希望の牧場」を営んでいる。ここを訪れる医療者や公務員は甲状腺がんの患者の人数の多さに対して違和感を公に表明することができない。つまり、リスクを定義する権力が、現実を見て自分で考える人の言葉を直接抑圧している事態が、ここにつまびらかにされている。
<検出下限値をめぐる言葉と体の緊張~内部被ばくのリスクの問題>
事故を起こした原発から、どのくらい離れたところまでが被災地といえるのだろうか。例えば原発避難者特例法においては、指定市町村が告示されている。この指定市町村から住民票を移さずに避難している住民は、当該市町村並びに福島県の代わりに、避難先自治体から定められた行政サービスを受けることができる。指定市町村にはいわき市も含まれていることから、いわき市で生活する人々は被災地に生きる人々と行政的には言えそうである。
国が定める放射性セシウムの基準値は100㏃/㎏である。この値を上回る食品は、少なくとも流通することはない。福島県のウェブサイトの中に、「福島県農林水産物・加工食品モニタリング情報https://www.new-fukushima.jp/result 」という頁があるが、そこからいわき市を選んで情報を表示すると、測定の際の検出下限値(これよりも低い放射線量は測定できませんでした、という値)が、セシウム134と137に分けられて表示されている。2024年6月6日から9月6日までの3か月間の一覧表を読む限り、2種類のセシウムの検出下限値を合算すると、概ね15~19㏃/㎏付近となることが多い。中には、合算して7.8㏃/㎏というピーマンの下限値もあるが、これはかなり低いほうである。さすがに、どの市町村も下限値を100㏃/㎏には設定しておらず、事故後13年以上が経過した現在でもそれなりに丁寧に測定していると見受けられる。
ところが、本書第1部第2章の「いわき放射能市民測定室たらちね」が毎月公開している、持ち込まれた検体に関するセシウムの検出下限値https://tarachineiwaki.org/radiation/result は、これを書いている時点で最新の2024年7月版によれば、セシウム134と137の合算で概ね2~7㏃/㎏、検出性能の高いゲルマニウム半導体測定器を使う場合は合算しても0.1を下回る場合もある。先の「モニタリング情報」でも、「たらちね」でも食品の検体はそのほとんどがガンマ線の検出下限値未満で、測定できなかったという結果である。検出下限値未満という測定結果は、パッと見るとセシウムが無いんだ!と思ってしまいそうになるが、あくまでも検出できなかった、という意味である。「モニタリング情報」の中から2024年6月6日から9月6日までの富岡町の検出結果を見てみると、ピーマンの一つの検体から、セシウム137が6.32㏃/㎏検出された。このピーマンの検体がいわき市で測定されていたなら、検出下限値未満と扱われた可能性が高いと考えられる。一方で、「たらちね」の測定は、こうした低線量被ばくのもととなる食品中のセシウムの存在をできる限り明らかにしたい、という方向性で行われていると捉えていいだろう。(ちなみに、「たらちね」では食品だけではなく子どもの遊び場であるいわき市内の公園の土壌の測定も行っている。土壌は食品とは全く異なり、今なお2桁から3桁の数字で1キログラム当たりのセシウムが検出され、原発事故の猛威が見せつけられる。)
しかし、事故から13年以上が経ち、「たらちね」の測定においてさえも食品の場合そのほとんどが検出下限値未満ということであれば、2019年のインタビューで語られている内容は古びてきているのではないか。公園で遊ぶときは注意して、食べるものには(放射性物質を吸着しやすいキノコ類を除いて)それほどもう神経質にならなくてもよいのではないか?
ところで、なぜセシウムを測定するのかと言えば、国の説明によると「東京電力福島第一原子力発電所の事故により放出された核種のうち、物理学的半減期が1年以上の放射性核種(セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム、ルテニウム106)の影響を計算に含めた上で、食品から受ける放射線量への寄与率が最も高く、測定が容易なセシウム」を測定するのだ、という[1]。つまり、測定においてセシウムは指標であって、β線とγ線を出すセシウムから発するγ線が100㏃/kg以上検出されるようであれば、他の福島原発に由来する半減期1年以上の放射性物質も食品中に含まれているだろうという考え方である。
この中でもプルトニウムはα核種と呼ばれ、α線を出すことで知られる。ストロンチウム90はβ線を出し、カルシウムと似た化学的性質を有するために骨組織に集積すると言われる[2]。それ以外の3核種はいずれもβ線とγ線を放出する。特に、射程の短いα線とβ線において問題となるのは、経口摂取や経鼻摂取などによる内部被ばくである。これに関連して「たらちね」の医師の藤田操さんの証言を見てみたい。
「今、『〔たらちね〕クリニック』でおしっこのセシウム量というのを測定したりするんですけど、結構2リットルくらいためてやって、検査自体は大変なんですけど、それだと割と数値として出てくるんですね。…その数値というのは、原発事故前の平均7~8倍くらいでしたかね。この8年経った今で。…事故直後なんて、もっとでしょう、当然。何10倍もあったんでしょうけど。でも、出てる人たちというのは、子どもたちもそうですけど、そういう検出下限値以下のものをほとんど食べてるんですね。ということは下限値以下とはいっても、やはり微量含まれているのをずっと食べてるということになると思うんですよね。」(100頁)
日本政府は、2011年12月に公表した「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」報告書5~6頁で、外部被ばくと内部被ばくの健康影響は同等と評価すると記している。しかしこれには異論もある。例えば市川定夫は自然界に存在する放射性核種カリウム40なら、他のカリウムと同様に体内から素早く代謝されるのに対し、セシウム137やヨウ素131のような自然界に元来存在しなかった人工放射性核種に関して地球上の生命体は代謝する仕組みをもっておらず、かえって生体内で濃縮されるのだと言う[3]。甲状腺がんの原因と言われるヨウ素131は、半減期は短いものの、甲状腺に集中して生体濃縮される良い例であろう。だとすれば、外部環境からγ線を発する放射性物質に関する防護策と、内部被ばくの対策とは全く違うものとなるはずだ。
控えめに言って、低線量ワーキンググループのメンバーやそれに与する科学者たちと、市川定夫のような科学者の見解が分かれているのであれば、国策に沿った科学者の発言ないし国の公式見解と異なる受け止めをすることも考えられる。そうしたときに、指標物質であるセシウムのガンマ線が検出限界未満だったとしても、健康影響がない、と異論を排して言い切ることができるのか?「たらちね」ではそのような疑問、懸念から測定活動を行い、実際にその懸念が杞憂であるとは言えないような測定結果が出ている。
<リスクを規定する言葉の影響のひろがりは深くて大きい>
例えば、今これを書いている筆者も含め、首都圏に生きる人の多くは内部被ばくと外部被ばくの影響とを分けて考える必要はないという政府公式見解によって、計測された値から導出される年間追加被ばく線量が20m㏜未満であれば放射線が健康に与える影響はない、もしくは仮にあったとしても因果関係が分からないので気にしても仕方がないという認識を持たされ、福島県の被災地もすでに復興したか、直に完全に復興するものとして、原発事故はもはや自分達には全く関係のないことと気にも留めずにいるのではなかろうか。本書に収められた証言は、そのような原発避難者特例法に定められた指定市町村の住民以外、とりわけ原発事故被災を意識したことのない人々の世界認識と相反する世界からの証言なのである。
さらに、前双葉町町長の井戸川克隆さんは、本書170頁で「皆さんもきっと、私たちのように騙されるでしょう。」と予言する。国会事故調査委員会の報告書に掲載されている、福島県浜通り地方を中心とした地図の上に、SPEEDIによって試算された内部被ばく臓器等価線量の分布図では、確かに2011年3月12日から24日の12日間、福島第一原発付近は10000m㏜、その周りに5000m㏜、さらにその外側が1000m㏜、もっとも外側は100m㏜のラインである。これはあくまで試算値であるというが、井戸川さんは当時双葉町上羽鳥地区のモニタリングポストが毎時4613μ㏜を記録したという。これは約40㏜/年に相当する線量である。12日から24日までの12日間で考えれば、約1.3㏜に相当する。図らずもこれは、2011年3月12日当時、1号機爆発前のベントのせいで双葉町民がSPEEDIの試算値における1000m㏜から5000m㏜のエリア内にいたという井戸川さんの証言と符合する。(本書168頁参照。)
井戸川さんの証言はこう続いている。
「爆発の時の線量は私には分かりません。原発立地町であれば役場で持っているんですが、その線量計で測れませんでした。針が振り切れました。そういうところに私たちは居たんですが、福島の事故の記録には、双葉町民の被ばく記録は入ってません。だから、〔福島県、国、一部の学者、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)から〕100m㏜の放射線を浴びた者がいないという風に言われているんですね。」(168-169頁)
日本政府は、SPEEDIの計算結果が福島第一原発からリアルタイムで原子炉内部のデータの送信があるはずが、事故のせいで故障して止まったがゆえの試算値でしかない、ということを根拠として、それと実測値との比較も特にせぬまま公式見解を出して今日に至っている。そのために私たち国民の多くが、原発事故で100m㏜以上の被ばくをした人はいないと思い込んで生活してきている[4]。「騙されるでしょう」というのは、次に事故を起こす原発立地及び周辺自治体住民だけでなく、全ての日本国民を対象とした言葉であって、私たちはすでに騙されているのである。
言いかえれば、私たちがいま生きている「リスク社会(ウルリヒ・ベック)」においては、リスクを定義する者、定義する側が定義される側の一般庶民の生に対して大きな権力を行使している。むしろ、被災地住民以外の人々に対して、自分たちは原発事故とは無縁であり、原発事故は収束しつつあり被災地も順調に復興していると思わせるような権力がスムースに作用しているのである。
被災地でもこの権力はもちろん作用している。だが、被災当事者に対してはその働き方は被災地以外の人々とは異なっている。「たらちね」の藤田さんに、地元の人たちは自分たちを‘被災者’としてアイデンティファイしているんですか、と筆者が尋ねたところ、「不信感って言うのだけは、やけに残ってるんです。」(111頁)と答えた。その不信感は、東電や行政とかだけでなく、社会全体にであるとか、さらには家族仲良く暮らしていたとしても、放射能に対する考え方で分かり合えない所が出てくるといった、心の垣根のようなものにもなるのだという。(112頁参照)「リスク社会」において、放射性物質に代表されるリスクをもたらすものは五感で知覚できない。五感で知覚できず、科学を通してしかそれの有無や大小を知り得ないということになると、科学が提示する放射性物質の量や濃度と言った数値をどう評価するかによって、人によってリスクの大きさや内容が変わってくるのだが、藤田さんの言葉からは、リスクを定義する言葉のはたらきが家族内部にまで深く浸透して悪影響を多様な仕方で与えることが分かるのである。
<何が証言を証言足らしめるのか>
ここまで紹介しながら検討してきた原発事故被災者の「証言」は、リスク社会における権力のはたらきに抗う言葉である。このような言葉の出どころはどこだろうか。「証言」を証言たらしめるものは、どこにあるのだろうか。本書では、生命の活動と放射線とが本質的な対立関係にある点に着目して、核兵器の開発並びに核発電の実用化によって、生きとし生けるものが生きること自体に倫理的な意味が生じたというところに、証言にベックが言う「合理性」の根拠があると見る。
本書の内容を、リスクを定義する者たちの言葉と、定義を押し付けられる側の言葉とのせめぎ合いとしてみた場合、また違ったものが見えてくると筆者は考える。例えば井戸川さんの行動と思想の根底には、古くからの井戸川家の歴史が存在している。井戸川さんが原告の「福島被ばく訴訟」第16回口頭弁論の際に提出されたご本人の陳述書から引用する。
「井戸川家の歴史から、今日あるのは幾多の困難、戦乱に耐えながら続いてきたことが分かる。私はこの流れを繋いでいく運命にある。」
陳述書の中で、原発事故がどれほどの損害をもたらしたかを記述する損害論の「井戸川家」の章はこうして始まる。続けて、井戸川家の3代前の議隆さんが銀行を創設したり、大地主として小作料収入を多く得たり、さらに町長となって県立双葉高校の前身の旧制双葉中学校を創立(ただしこれに多額の資金が必要となり、町の財政を破綻させてしまったとのこと)したりと、地域の名士として生きたことがつづられる。その次の盛隆さんは自費で東京通いをして郡山部落や町のために無報酬で働いたのだという。そのために、井戸川家は貧しく、井戸川さん本人はお金のかかる選挙には出ないと誓って実業に専念してきた。しかし、時が流れて町の財政状況が破綻状態にあることを知ると、町長選挙に立候補して町長となった。このような、自身が生まれる前からの一族の歴史が今なお井戸川さんを奮い立たせて国と東京電力と戦わしめている。
「町と町民の安寧を願い仮の町をつくるために邁進してきたが、これが果たせずに辞任に至ったことは慚愧の想いだ。」「原発行政のウソがわが町、わが家族、人生のよりどころの中心の我が家を壊してしまった。」
こうした、リスクを定義する側の言葉と対極にある言葉は、吉澤さんにもある。
「安倍政治のルーツなんて、岸信介でしょうよ。あれが日本を戦争に引っ張り込んだ張本人だよ。だから、安倍は絶対戦争の反省なんかありはしないだろうし、国策の根幹として、あの当時の戦争は行われ、うちのおやじなんか満州開拓に行ったんだ。結局戦争で敗けて、シベリア抑留3年。おやじは運良く生きて日本に帰れた。仲間が大勢シベリアで死んでるんです。最終的に国策が敗北すれば、大量の棄民は生まれる。」(144頁)
また、『原発一揆 警戒区域で戦い続ける“ベコ屋”の記録』(サイゾー、2012年)を読むと、希望の牧場の土地が吉澤さんの父親が苦労して開墾した土地であることが分かる。(『原発一揆』36-39頁参照)そして本書では、被ばく牛を飼い続ける原動力について、次のように語っている。
「やっぱり自分のたどった人生よ。おやじの後、この牧場を引き継いで、ここが最後の場所だと思ったから、ここからどっかに行くなんて俺は考えないし、ここで被ばくをしながら、ここで放射能を浴びながら、この300頭の牛を背負いながらさ。」(154頁)
井戸川さんと吉澤さんがリスクを定義してくる権力に抗い続ける根底には、ひとつには家族、家系の歴史がある。自分の人生が自分独りのものではなく、親から、さらにそれ以前の代から受け継がれてきた重みにおいてはじめて人生となっていると、絞り出すように証言している。
<私の証言は私だけの証言にあらず>
双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんの場合は、本書第2部第1章で検討しているように、1960年代、福島第一原発が落成し運転開始する頃からの労組の運動にルーツがあった。郵便局員だった石丸さんは当時の郵便配達用のオートバイの仕様のせいで局員が白蝋病や頚肩腕症候群に悩んでいたことを突き止め、局員の労災認定を勝ち取っていったのだという。原発反対運動は、労働運動の延長線上での取り組みであったのだという。(218頁参照。)石丸さんは旧社会党、現社民党とつながりがあるが、反原発運動はイデオロギーに支えられたものではない。
「私が運動を継続できたのは原発労働者に接してきたからです。原発の問題点を勉強する必要がありますが、勉強だけでなく、原発労働者と接触を続けるなかで、原発の内部がいかにでたらめで、東京電力は原発を運転する資格はないということが分かってきました。…怒りが根底にあります。…根底にある怒りと、原発はどういうものかという勉強を車の両輪にしてきたことが今まで続けられた理由だと思います。」(220頁)
これは、2011年に行われた一橋大学フェアレイバー研究教育センターによるインタビューからの重引である。原発労働者に接していくうちに湧いてきた怒りというのは、イデオロギーという型から生じるものではない。もっと根源的な、生命のはたらきと人生に対する侵害への共苦から生じているのではないか。
石丸さんは、上記インタビューの中で大熊町で農業を営みつつ歌を詠んだ農民歌人佐藤祐禎さんの歌を引いている。まず石丸さんが引いた歌から重引しよう。
原発に勤める人にまた逝きぬ病名今度も不明なるまま
本書で重引した歌とは別の歌である。石丸さんは佐藤さんについて次のように語っている。
「佐藤さんの近くで被曝して亡くなっている人がいますので、この人の短歌は凄いですよ。地元で原発を歌に詠むものだから目の上のたんこぶだった。東電は原発内の短歌会の講師として来てくれと何回も佐藤さんを呼びますが、頑として行かなかった人です[5]。」
さらに、佐藤さんの歌のキーワードとして、「生活感」「(原発立地自治体に生きる)リアリティ」を挙げている。
筆者は詩歌の鑑賞や創作に関して全くの素人であるが、佐藤さんの短歌は石丸さんの活動の根本的なモチベーションと共鳴しているだけではなく、黙して語らぬ多くの地元の人たちの生活実感や原発に対して考えている事ともなにがしか共鳴しているのではなかろうか。原発事故後の歌からもはばかりながら一つ引用する。
原発の言葉は元より信ぜねば三代に亘り戻る日なけむ [6]
これは2012年4月に詠まれた歌である。これに先立つこと1月から、当時の警戒区域、計画的避難区域に属する11市町村で除染が本格的に始まっており、4月1日からは2つの区域が年間積算線量に鑑みて「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」へと再編された(2019年より、居住制限区域がなくなり、帰還困難区域と避難指示解除準備区域に再編)。被災者を帰還させて被災地を復興させるための具体的な施策が動き始めた時期に詠まれたと言っていいだろう。要するに、除染によって帰還を可能にし、復興を成し遂げるという掛け声が本格的に叫ばれ始めたころに詠まれた歌だが、自分たちを置き去りにして繰り返されるそういう掛け声に感じる深い絶望やむなしさがあらわれている。
〈証言の真理性の考察へ〉
佐藤さんの歌に詠まれた心情が他の被災者の心に通じるものがあるとすれば、歌によって掬い取られた心情の証言、また本書に収められた証言、そうした言葉の真理性はどのように担保されるのだろうか。「リスク社会」においてリスクを定義する権力を持たない者の言葉は、権力の言葉と同等には受け取られないのが常である。つまり、真理真実ではなく、あくまでも個人的な心情や意見に過ぎないとみなされてしまう。(もちろん、そうならないために、例えば「たらちね」では放射線の「測定」を活動の中核に置いているのであるが。)
<M.フーコーのパレーシア概念と被災当事者の証言>
ミシェル・フーコーは『真理とディスクール パレーシア講義』(筑摩書房、2002年)の中で、古代ギリシャにおける「パレーシア」概念を分析していく。古代ギリシャにおける「パレーシア」は直接的には「すべてを語る」という意味であり、そのパレーシアを行う者を「パレーシアステース」と呼ぶ。すべてを語る「パレーシアステース」は、真理を語る者と考えられた(フーコー、10頁)。
だが、その人が「パレーシアステース」であることを保証するものは何か。フーコーはそれを勇気であるという。
「〔古代〕ギリシャでは、ポリス〔=都市国家〕の大多数の人々の考えと違うことを語ることは、危険なことでした。そしてこの危険なことを引き受ける勇気があるということは、その人がパレーシアステースであることをはっきりと示すものだったのです。」(フーコー、14-15頁)
フーコーの論述に沿って例を挙げれば、友達に“君のしていることは間違っている”と忠告する場合、その友情にひびが入るリスクを負って発言している。つまり、発言する本人にとって何の利得もないのにあえて発言する人がパレーシアステースであり、その発言がパレーシアである。政治に関する議論で大多数の意見と衝突する内容を発言すれば支持者が減る危険がある。この人もパレーシアステースである。(フーコー、16-17頁参照)
ひるがえって原発の問題でいえば、本書で取り上げたような被災当事者によるパレーシアが、家族の関係を危うくしたり、地域での交際をギクシャクさせたり、仕事にネガティブな影響が及んだり、自らを多方面において危険にさらす可能性があることに、異論はないと思われる。
フーコーに戻って付言すると、パレーシアには自分自身を不利にするような正直な告白は含まれない。あくまで、他者の行動や考えが間違っているという指摘や、自分を罰する権限を有する者に対して、自分を罰する可能性のある内容を告白することがパレーシアなのである。自分を罰する権限を有する者に対する告白がパレーシアなのだから、権力者の発言はパレーシアではない。(フーコー、18-19頁参照)そして、発言者は黙っていることもできるにもかかわらず、発言するのはなぜか。それは、発言すること、パレーシアが義務であると感じられるからである。“これだけは言わなければならない”“これを言わずしてこの先どう生きよう”と感じ止むに止まれず発言する人が、「パレーシアステース」なのである。
本書第一部に収められた4組の証言は、国や東京電力という権力の側に対して、「あなた方のやったことは私に見えて体験されているだけでもこれほどのことなんですよ。」とあえて告げる性質を有している。それゆえ、これらはみなさしずめ現代のパレーシアである。いや、個々の発言だけでなく、その生きざま全体が証言、パレーシアである。
<利益相反の有無こそパレーシアの試金石である>
加えて、4組の証言には、フーコーによる古代ギリシャのテキストの解釈から直接は導き出せない、環境倫理学のパレーシアの条件があらわれていると思われてならない。
それは、その発言が何者かの利益のために行われているのではない、ということなのだが、さらに具体的に言えば、発言内容を左右するような特定の個人、団体からの支援を受けていないことが、パレーシアをパレーシア足らしめるということである。つまり、被災当事者の証言の真理性を保証するのは、発言者、証言者に利益相反がない、ということである。
これは、日本の思想界を席巻して久しい「臨床哲学」研究や実践の一部、もしくはそれに近親性のある、社会学をベースにした一部の「記述」や「寄り添い」を鍵語とした研究に欠落した視点である。このような視点を持たない研究は、自身が直接利益相反を犯していなくても、他の利益相反を犯している研究者や団体との共感的なつながりを(その自覚の有り無しを問わず)持ってしまうことがある。
石丸さんの言葉に帰れば、歌人佐藤祐禎さんは東電の歌会に何度招かれても参加しなかった。井戸川さんは、東京電力や原発関係の役所との会合や会食について「ごちそうにならないように」気を付けていたと語っている[7]。(どうしてもお酒を飲まないといけない席は自分でそれなりの値段のお酒を買って参加し、「ごちそうになった」状況を作らないようにしていたという。)
何のことはない、市井の生活者が自分の言葉に責任を持つために注意していることを、学の概念に取り入れればよいのである。これを取り入れて学問の語法で言い換えるなら、真理を語るパレーシアであることの条件、ということになる。市井の人々も、学問研究者も、ひとつのパレーシアがちゃんとパレーシアであるかどうか、権力の側からリスクを定義する言葉の網、壁を突き破って真理をつまびらかにするものかどうかをチェックして吟味することが求められている。
本書第二部では、フーコーのパレーシアのような、語りの真理性に関する議論とは異なる形で、被災当事者の証言を引き受けた考察を行っている。
ご興味の湧いた方はぜひそちらもお読みいただければ幸いです。
(やまもと・たかし)
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[1] 農林水産省ホームページ「食品中の放射性物質について知りたい方へ(消費者向け情報)」(2024年9月10日閲覧)https://www.maff.go.jp/j/fs/radio_activity.html
[2] これに関する環境省の見解は環境省ホームページ「第8章 食品中の放射性物質
QA8-2 ストロンチウムは骨に蓄積されるので、危険だと聞きました。食品中の放射性ストロンチウム量についての規制はないのですか。」を参照。(2024年9月10日閲覧)https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h29kisoshiryo/h29qa-08-02.html
[3] 市川定夫『新・環境学Ⅲ』藤原書店、2008年、172-176頁参照。
[4] 日本政府が100m㏜以上被ばくした被災者がいることを把握していながら、その存在を国民に周知することなく握りつぶしたことを明らかにした著作として、榊原崇仁『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』集英社新書、2021年を参照。
[5] 「一橋大学フェアレイバー研究教育センター(47) 福島原発震災と反原発運動の46年-石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)に聞く」『労働法律旬報』 (1754), 2011年10月、55-56参照。https://fair-labor.ws.hosei.ac.jp/rh-junpo/111025.pdf
[6] 佐藤祐禎『歌集 再び還らず』いりの舎、2022年、147頁。
[7] 「インタビュー 井戸川克隆 福島第一原発と『仮の町』構想」『環境倫理』第1号、2017年、111-112頁参照。(当該頁までスクロールして頂ければ幸いです。)https://drive.google.com/file/d/1Yk8FctqQ4_CiCphNhSMKGLBYTNDc6CB8/view
↓言叢社のホームページでも紹介しています。
『〈証言と考察〉被災当事者の思想と環境倫理学 福島原発苛酷事故の経験から』山本剛史 【編・著】
ISBN: 978-4-86209-090-4
C0036 ¥3364E
[A五判並装]520頁
(2024-04-10出版)
定価=本体3,364円+税【3,700 円(税10%込)】
【既刊】
〈全村避難〉を生きる─生存・生活権を破壊した福島第一原発「過酷」事故
菅野 哲【著】
ISBN: 978-4-86209-075-1
[A五判]並装 本文384頁
(2020-02-10出版)
定価=本体2400円+税
フクシマ―放射能汚染に如何に対処して生きるか
島 亨 【著】/菅野 哲 【談話】
ISBN: 9784862090416
[四六判並装]372p
(2012-08-25出版)
定価=本体1714円+税