ことばのくさむら

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苦悶・闇・再生──闇の奥に届く光のスケールとなる「心の学問と文芸」

 

f:id:ubuya:20220212163313j:plain柳田國男から田山花袋への書簡

 

 明治38(1905)年1月30日、柳田國男は青春時代の心の友、田山花袋に宛て一通の書簡を送った。その書簡の後半を以下に写してみる。

 

「…(略)…此間/無数の新人を知り無数の天然の変化を送迎し新なる情趣に接し新なるを胸にしめ候事数限も無之候/無論憫むべき自惚には有之べく候へ共何となく自分の価値を認識候やうなる心地致し候と共に望を未/来の事業にかけ候事極めて大きくなり候へ共是よりも切なるは現在の生活に対する趣味に有之候 よ/しや不幸にして此まゝ蹉跌沈淪致候とも先(まず)は生きたりといふことだけは申しうべく軽々しくをのれの/身体の虚弱なることをかこち候を悔み申候 唯此間に立ちて何とも申がたき苦悶有之 世間の愈をの/れと遠くなり今までは

(図解Ⅰ)

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の如く思ひしが今は段々と

(図解Ⅱ)

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の如く思はれ時として妻や友人のことを

考候ても猶

(図解Ⅲ)

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の如き心持いたし寂寞に堪え不申候 多くの世間の拘束は有害にして無益なりと存じ反抗するの必要/を感じ候へ共之と同時にやわらかにして且わりなき束縛が恋しく候、誠に今の如く世間より重宝がら/るゝことの少しも無かりしならば如何と考ふるに無論小生は去りて林泉の間に棲した文人の歌や文を/誦し可申 附近の老翁たちとも親しく遊び暮し可申候 それと今といづれがのどかなるべきかは申ま/ても無之 いづれを身の楽とすべきかも決するに難からず候 然らば己か技掚を駆使するのか 技掚/が己を駆使するのか 事業を鞭つのか事業に鞭たるゝかわかり不申苦しくてたまらず候 要するに小/生ハ更に心に関する学問がなき為に自ら己の苦悶に命名すること能はさるなるべしと存し候 酒をの/みてかゝる問題を銷却するの術は前人の陳奞に屬す 之を/研究し之を明にするが新時代の人なるべきかと存候 幸に教を垂れよ/不一/一月三十日夜/國 男/田山 學兄/侍史」(『田山花袋宛・柳田国男書簡集』田山花袋記念館研究叢書第1巻、館林市、1991年。書簡文No.111。傍線は引用者による。註:妻・友人との関係を示した図解中の「孝」が妻、「幹等」は明治26年柳田國男が第一高等中学校に入学し寄宿舎で同室となった幹政彦、菊地、今村、松本のことであろう。4人とは生涯親しかったという)

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・「心の学問」

 この書簡が書かれた明治38(1905)年当時、國男は30歳。農政官僚として業績をあげ、法制局参事官となったのちも全国をまわって産業組合法の意義について講演をし、日露戦争中の捕獲審検所検察官の仕事も果たすなど、多忙な日々を過ごしていた。明治34(1901)年5月、松岡姓から柳田家へ養嗣子として入籍。明治37(1904)年4月、柳田直平の四女孝と結婚。この時家庭の安定を得たことと仕事の充実が、引用した書簡の前半の言葉になったとおもわれるが、後半ではなぜか、柳田はみずからもうまく解きえない焦慮をしるし、あらわにしている。図化している個所は観方によってはひどく単純にもおもえるが、よく踏まえてみると、だれしもが思っていることと近いことが言われているのが、興味深い。そして、最後に語られるのが、「心の学問」である。この焦慮を名指すとすれば「心の学問かなき為ニ、自ら己の苦悶に命名すること能ハさるなるへしと存し候」としるされ、「之を研究し、之を明にするが、新時代の人なるべきかと存候。幸に教を垂れよ」と田山花袋に語りかけている。

 柳田が今日の学問に無いと感じたものは「心の学問」であり、この「心の学問」とはいかなるものか、みずからが予感しつつあるものを名指すことのできない苦悶に苛まれていることを告白しつつ、これを研究し明らかにすることが「新時代の人」たるべき自分の仕事ではないか、と田山に賛同を求めている。「幸に教を垂れよ」と。

 

・ロンドンの漱石

 柳田國男が友人の田山花袋に書き記した「苦悶」とちょうど同じ時期、ロンドンに留学していた夏目漱石もまた、孤独のただ中で故知らぬ悲しみと暗鬱な闇に包まれて、闇の奥にあるものの正体を見極めようと瞳を凝らしていた。「おお、つねに弱まりながらも消えることのない悲しみよ。この失われた何ものかの感情、しかもその何者かが何であるか知らない。暗欝な闇が私を包み、闇の中では、私が見ているものの正体を知ろうとし、私が何者であるかを知ろうとしてむなしく瞳を凝らす。……」漱石全集第一三巻。明治37~38年の英文断片。訳は桶谷秀昭夏目漱石論』河出書房新社、1972年による)。漱石もまた「私が見ているものの正体」「私が何者であるか」を知る文学的転回の始まりを体験しつつあったのだ。

 この時代とは、欧米に倣う近代化によって急速に成長を遂げ、日露戦争とあい前後し、列強の一員たろうと軍事的拡張を志向した時代であり、他方では、近代が捨て去ってしまった「共同の感情」、「同時にやわらか/にして且わりなき束縛の喪失」、この喪失の「消えることのない悲しみ」の「こころの闇」にむかって、「心の学問(日本民俗学)」や「文芸」が静かに立ち上がり孕まれつつある時代でもあった。

 

・直面する現在

 明治維新からはじまる日本近現代の150余年は、「日本近代の77年」(明治初年~昭和20年の太平洋戦争終結まで)、「日本現代の77年」(太平洋戦争終結~現在まで)に分けられるとよく言われるが、いま私たちが直面する時代状況は、如上の二つの時代にはおさまり切らない地球大の「闇」がわたしたちを包み、全域を覆っている。その闇は、近代が与えた価値とは全く異なる「自然性」が与える畏怖であり、また、わたしたちが無視してしまった「身体の闇」であろう。さらにまた、この事態を直視しない偽り・抹消に満ちた「世界の闇」。わたしたちは、この底深い「闇の正体」を見極めようと瞳をこらし、闇の奥行にまで届く光のスケールとなるような新たな学問と批評と芸術を希求している。それは、おもいもかけぬ形で姿をあらわす。わたしたちは、この出現をうながしつつ、すこしだけの媒介者として、人びとのすこしずつの力の集合がいつか大きな力となることをおもい、いまを生きる意志を持って待ちつづける。

 

・新刊『ジョイスの挑戦──ユリシーズ

 本年の2月、すなわち、2022年2月2日は、ジェイムズ・ジョイス著『ユリシーズ』が刊行されて100周年記念の日であり、小社ではジョイス論集の第3冊目として金井嘉彦・吉川 信・横内一雄編著『ジョイスの挑戦──ユリシーズに嵌る方法』を刊行します。西の辺境の地・アイルランドにあって、「20世紀文学の金字塔」といわれる神話的な文体実験の物語小説を創造したジョイスの偉業を、いま改めて経験したいとおもいます。(島亨記)

 

 

 

 

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定価=本体2727円+税【3000円(税込)】 ISBN978-4-86209-086-7    C1098  \2727E

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ジョイスの挑戦──『ユリシーズ』に嵌る方法』

金井 嘉彦・吉川 信・横内一雄 編著 JJJS(ジャパニーズ・ジェイムズ・ジョイススタディーズ第2)

《各章執筆者》

金井嘉彦・吉川 信・小林広直・田多良俊樹・桃尾美佳・南谷奉良・平繁佳織・横内一雄

《コラム執筆者》

新井智也・岩下いずみ・河原真也・田中恵理・戸田 勉・山田久美子・湯田かよこ

 

 

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