ことばのくさむら

言叢社の公式ブログです

渡辺公三さんを追悼することばたち

 昨年12月16日に食道がんで急逝された渡辺公三さん(文化人類学立命館大学大学院先端総合学術研究科教授、立命館大学副学長、学校法人立命館副総長、立命館西園寺塾塾長、享年68歳)が生前に構想していた第三論文集『身体・歴史・人類学Ⅲ 批判的人類学のために』をこのほど刊行しました。この刊行を機に、京都でのご家族による密葬、3月3日に催された学校法人立命館による「渡辺公三先生を偲ぶ会」(ホテルグランヴィア京都)につづき、東京でのささやかな集会「渡辺公三さんをしのぶ会」(9月30日(日)、東方学会本館会議室)を催しました。
 京都での追悼集会に参加できなかった東京を中心とする同輩の親しい友人、関わりをもった若い友人、30余人が参集され、みなさんが全員想い出を語ってくださいました。台風24号が夜分には来襲とのことで、交通機関がはやばやと運転をやめるという情報が伝わるなかで、いつ果てるともない話しが続き、ある参加者の感想をお伝えすれば、まさしく「明かしえぬ共同体」のようだった、と。
 この集会の様子については、さまざまな形で紹介をしたいと思いますが、「言叢社ブログ」では、さらに「渡辺公三さんを追悼することばたち」を、さまざまな方の言葉を紹介していきたいと思います。
 その第1回として、サックス奏者・音楽家の仲野麻紀さんによる追悼文を掲載させていただきます。仲野さんの音楽は、大学の副総長・副学長として公的激務に駆け回る公三さんに、心やすらぐひと時を与えてくれたでしょう。それとともに、公三さんの感化を受けて、仲野麻紀さんは『旅する音楽』(せりか書房、2016年)という好著を刊行しています。
 

撮影:村山和之さん
 


 
渡辺公三さんへの追悼
 
知の喜び -Plaisir-
仲野麻紀


 西アフリカ、ブルキナファソの楽士が舞台で奏でる音楽に、観客は固唾を飲んで聞き入っている。
 はじめて聴く音の抑揚に、ある者は体を揺らし、足でリズムを刻む。
 主催者であるわたしは会場の一番後ろから、満員の聴衆の後ろ姿を眺めた。
 彼らは笑顔で音楽を聴いていると確信した。
 演奏中盤、背広姿の男性が舞台に躊躇なく上がり、ポケットから財布を出し、演奏者の、汗の滴るデコにお札を貼って歩いた。アフリカではこういった場面は日常茶飯事だ。演奏者に、演奏をしているその瞬間に聴く者が演奏に対しての対価を払う。そこに演奏する者とそれを聴く者という関係が生まれ、交換が生まれる。
 舞台に上がったその男性とは、アフリカへの眼差しを持ち、人類という無数を対象にした学問、そして、わたしとあなたという関係を、一人称、二人称ではなく、互いが相互に他者となり、その関係の中で人間は存在するということを研究された渡辺公三氏だ。
 後者の言い方をまさに学者然とされた言い回しで、
 「対幻想ではなく、異った共同幻想を担う個体間の関係」と仰っていた。
 と思いきやある時は「雨と夏日の交代は心の動きとそっくり」という詩的な表現を使われていたことを思い出した。

 ある炎暑の午後、京都にある研究室へ連れて行っていただいた。
 そこは何年か前、京都での演奏の際、シリアのフルート奏者と共に楽屋として使わせていただいた部屋だ。
ひしめく書物。好奇心の対象としての本。「知の喜び -Plaisir- なくして人生はない」、とその時仰っていたと記憶する。大学という学びの場、そういった場の公開性を重視され、大学の外である社会に開かれるべき、あるいは還元するべき知の喜び、と解釈できるかもしれない。
 フランス時代、フィールドワーク、研究に関係する多くの書物は、確かに氏の知の喜びを刺激するものばかりだろう。しかしその喜びは時にある結末として暴力的にわたしたちの生きる存在というものを、脅かす可能性を孕んでいる。
 氏のライフワークであった、〈レヴィ・ストロース〉は、著書『野生の思考』や『神話論理』をとおして、先住民が自分を取りまく世界にいかに繊細な感覚で接し、人間以外の生物種に共感をもっていたかを明らかにした。しかしその仕事が完成したあと、アメリカを中心に「エコロジカル・インディアン」なんて真っ赤な嘘だという研究が公刊されて大きな反響を呼んだという。それがちょうど21世紀になる際(きわ)だった。

では現人類学者たちは、こういった論調に対してどのような反応を示しているだろうか。
氏は、人類学という分野の中で様々な研究の成果として、肯定的な共生世界を社会に提示しつつ、しかし、「野生の知」から学んでるはずの人類学者たちの歯切れの悪さを気にされ、そういった人類学の現在とは何なのか、ということをこの近年考えていらっしゃったように思う。
だからこそ、論文集三巻のタイトルは「批判的人類学のために」となったのだろう。
自己の存在を真っ向から肯定するための、他者に対する否定的な考えに対し、人類学という学問を生業とする人々の仕事とは何なのか。
過去の延長線上にある今という時間。事実を真正面から受け取り、共生することとはどういうことなのか。
存在を肯定できる世界。それは他者の生にどれだけ向き合うことができるか、ということだろう。

 この様な表現もされていた。

 「ひとりひとりの誰にも、仏像の光背の無数の仏のように、その人が生まれるために
  存在した人々が控えてる。」

 この世の循環の中に、今を生きるわたしたちの生があるということ。
 今わたしたちが生きている現実とは、様々なものごとの循環の中に存在する過程である、と感じたい。
 ところで、詩的な表現といえば、


 「月明かし人々の背に涙かな」

という一句を作られていた。
 氏の病状以前、おそらくご友人が亡くなられた際の句だったと思う。
 月ひとつ、個の存在、社会にある人々に注ぐ灯。対照的な語彙にこめられた意味とは。

今年にはいってすぐ、本著の編集者のひとりIさんとお話しした際、
「満月の下を大いにくよくよ歩く」ということを仰っていた。
亡き人の声を文章からひとつひとつ聞き取りながら、著者に伴走する編集作業のさなかの言葉だったようにおぼえている。

 お月さんがめっぽう綺麗になる秋、出来上がった論文集を開き、公三さんの知の一端を読むことを、よろこびとしたい。

 

 

旅する音楽―サックス奏者と音の経験

旅する音楽―サックス奏者と音の経験


Désespoir agréable(心地よい絶望/デゼスポワー アグレアーブル)

Désespoir agréable(心地よい絶望/デゼスポワー アグレアーブル)


 

渡辺公三さんと音楽

 麻紀さんと出会う以前から、公三さんは音楽との深い縁をもってきました。国立音楽大学助教授(1986-94年)だったことから、弟子として「国家に抗する社会」バンドを結成した港大尋氏、公三さんから博士論文の外部審査をしてもらった国立音楽大学の川崎瑞穂氏(現・神戸大学)など音楽研究者・演奏家との関わりをもってきました。また、レヴィ=ストロースの『神話論理』の論述と構成が音楽の論理とかかわりをもたせて編まれていることにも、深い「えにし」のようなものを受け取ってきたかもしれません。この関心のありようは、たとえば、言叢社で刊行したフランツ・ボアズ著、大村敬一訳『プリミティヴアート』の音楽論に対する公三さんの書評の中にもうかがえます(次に引用しておきます)。
 
フランツ・ボアズ著、大村敬一訳『プリミティヴアート』言叢社、2011年)にたいする亡き渡辺公三さんの書評(図書新聞)の一部。
「結論に先立つ第七章「プリミティヴな言語芸術と音楽とダンス」は第六章までの視覚的な造形の主題に対して、声と身体による時間芸術の造形をとりあげる。言葉、声すなわち詩と歌、そして身体表現としてのダンスは、踊ることのできる身体を獲得し、分節化した声の言語を獲得した人間にとって、もっとも普遍的でプリミティヴなアートなのだ。もし評者が、声と身体を「もの」と呼べば、強引の誹りをまぬかれないだろうが、これらは人が、人を魅了する力を宿す形をあたえることのできる、もっとも身近な生きた素材であることは確かである。ボアズの視点において、身体がいかに重要な位置をしめているかは、詳細な索引のなかで「身体部位」(ここには人間だけでなく動物のそれもふくまれる)の突出した比率が間接的に証言している。いっぽう言葉のアートは、ボアズがたびたび強調するように、その言葉を母語としない者にとっては、もっとも理解のむずかしい精妙なアートでもある。
 視覚的芸術を優先した進化論的芸術論に対抗して、眼よりは手を重んじた籠編みの技や土器作り、彫刻など、身体が素材に働きかける手技から生まれる造形を起点に、視覚的なリズムやシンメトリーの美の検討をへたボアズの「プリミティヴアート」の探求は、こうしてアートのもっとも原初的で普遍的な源泉としての声と身体にたちもどることで閉じられている。そしてそれは、技の主体と対象がもっとも親密に交錯する、外部の観察者にとってもっとも接近しがたい源泉でもある。北西海岸インディアン、チヌークのダンスに魅了されたことがきっかけで人類学の世界に入り込んだというボアズは、こうして常に初心に回帰しつつアメリカ現代人類学の父となったとも考えられる。」
 

プリミティヴアート

プリミティヴアート


 

 

 

「第7回・みちの会」のお知らせ

この夏の激しい天地の災い、心身にひびく過酷さでしたが、いかがおすごしでしたでしょうか。
9月29日、「第7回・みちの会」がおこなわれます。


 
「第7回・みちの会」
場所:千代田区西神田2-4-1、東方学会本館2Fにて、午後1時あたりから。
発表者:蔵持不三也氏(前・早稲田大学人間科学学術院教授)
タイトル:「奇蹟と痙攣――近代フランスの宗教対立と民衆文化――」
 
 

みちの会

 

 2011年に刊行された『英雄の表徴』(新評論社)と対をなし、それ以後の歳月を費やして書き下ろされた大著の要旨を発表されます。著作は、これから言叢社にて編集にかかります。
 

 

 

追悼・渡辺公三氏

マルセル・モースからレヴィ=ストロースにいたる人類学に、個体と集団の「幸福への思考」の大切な筋道をたどろうとしてきた著者の、早すぎる遺作となった第三論文集。
 

 
 


 
身体・歴史・人類学〈2〉西欧の眼 (身体・歴史・人類学 2)

身体・歴史・人類学〈2〉西欧の眼 (身体・歴史・人類学 2)


 

 
レヴィ=ストロース (現代思想の冒険者たちSelect)

レヴィ=ストロース (現代思想の冒険者たちSelect)


 
社会人類学の二つの理論 (1977年) (人類学ゼミナール〈1〉)

社会人類学の二つの理論 (1977年) (人類学ゼミナール〈1〉)


 
アフリカンデザイン―クバ王国のアップリケと草ビロード

アフリカンデザイン―クバ王国のアップリケと草ビロード

■「みちの会」のこと


 
 今回は、わたしどもの事務所のある東方学会本館2F会議室で催されている「みちの会」についてご紹介し、第五回めの発表になる「メキシコ研究報告」のことをおつたえします。
 昨年6月にはじまった「みちの会」は、言叢社の事務所がはいっている「東方学会」本館2Fの会議室を借りて、2ヶ月に一度、おこなわれることになりました。「東方学会」本館ビルは、大正関東大震災の直後に建てられ、倒壊を防止するために、栗の丸太を地下にびっしりと敷きつめ、当時の工法としては最新フロー構造の建物で、堅牢でクラシックなビルです。
 今回の会は、早稲田大学名誉教授・文化人類学者の蔵持不三也先生・武蔵大学教授ドイツ文化人類学の嶋内博恵先生を中心に、早稲田蔵持ゼミのお弟子さんだった方たち伊藤純さん・山越 英嗣さん・藤井紘司さん・松田俊介さんがコアになってたちあげられました。
 大学の教室をでて、一般の研究者や市井の興味ある方々に展き、長年にわたる研究テーマを現在の問題にさらしながら、街なかの神保町の会場で行なおう、という趣旨のようです。
 

 
●第5回研究会
山越 英嗣(早稲田大学非常勤講師)
★「越境する「先住民アート」
  ―「わざ」と「芸術」のはざまからアートの政治性を考える」
日時: 2018年3月31日(土)13:00〜
会場 :東方学会ビル2F会議室(千代田区西神田2-4-1)
 
「みちの会」のホームページ → みちの会
 

 
◆越境する「先住民アート」−「わざ」と「芸術」のはざまからアートの政治性を考える
 本発表において、「わざ」とは日常生活における創作活動を通じた実践のことを指し、「芸術」とはアートワールドを構成する諸アクターの力学を意味する。 本発表では、「わざ」と「芸術」のあいだにおけるせめぎ合いから「アートなるもの」が創出されることを、メキシコ・オアハカのストリートアートを事例として論じる。
 2006年の抗議運動でオアハカの町に現れたストリートアートは、メキシコの壁画運動に象徴されるナショナルヒストリーを脱構築し、これまで周縁化されてきた先住民/農民たちによる「別の歴史観」を提示した。やがて、「民主主義を実現するための抵抗のアート」を求める米国のアート市場は、それらをアートワールドへと組み込んでいった。しかし、ストリートアーティストたちはそれをさらに「わざ」へと転じることによって、地元の州政府との交渉の手立てとして用いていったのである。この一連のプロセスからは、グローバルな移動と美術市場の持つ権威に絡め取られることによって、 社会的意味を複層的に構成していく 現代の「先住民アート」の政治性が明らかになる。
 
■「みちの会」に先立つ「道の会」
 じつは、言叢社を立ち上げてすぐの1980年代のごく初期に、やはりこの東方学会の同じ会議室で、「道の会」という当時若手ばりばりの研究者たちがあつまる会がありました。大学の職についたばかりのかた、そして多くの方が本職が決まっていないけれど、熱い魂の集まった研究者の会でした。このときも蔵持不三也氏と、今は法政大学名誉教授となった陣内秀信氏(建築史)、九州大学名誉教授の関一敏氏が中心になり、いろいろな分野の時代のみずみずしい萌芽をかかえた強烈な方々をつれてきて、何時間でも議論がつづきました。
 参加されたのは、上記、蔵持不三也氏、関一敏氏、陣内秀信氏、多摩美術大学・芸術人類学研究所長の鶴岡真弓氏をコアに、ときに、かの存在者大月隆寛氏、著述家島田裕巳氏・文化人類学者の杉山裕子氏・日本の比較文化学者の佐伯順子氏などが参加され、またそれぞれの研究者が、時代のキワにたっている幾多の研究者をつれてきて、交錯しました。刺激的で楽しい研究会でした。
 ついせんだって、陣内先生は法政大学の最終講義をされ、たくさんの方々が参加されたそうですが、ご自身の研究歴をのべられたなかに、「道の会」の項があり、建築史の自分がその会でであった、「文化人類学」に影響をうけて、かの『東京の空間人類学』が書かれたのだと報告されていたとのこと、最終講義に出席した鶴岡真弓先生がつたえてくれました。
 また、昨年末に急逝された立命館大学副総長・副学長だった、文化人類学者・渡辺公三氏もこの会に参加し、それ以来の長い付き合いでした。別れは、あまりにも突然のことで、そのしらせから、もう2ヶ月余たちましたが、なぜなのかずーっとあとをひいて、彼のはなしがでるたびに、悲しい思いをしています。大学人として、大きな功績をのこされたのは、わかっているのですが、やはり、自身の最終の時間に立ち向かう放熱の道筋が、たちきられてしまったことへの痛ましさ、なのだろうかとも思っています。

 第1次「道の会」の方々は、みなさん、大学を退任されるころになってきました。
 たくさんの研究の時間が積み重ねられた果てに、どんな扉をひらいていかれるのか、ワクワクします。
 ボス・蔵持先生は、さまざまな体調を崩された時期をのりこえて、「今が絶頂」と大著にむかっていられます。5月には「みちの会」第6回目の講義をされる予定です。
たのしみです。(記・五十嵐)
 
 
 

 

7周年


 
合掌
 

 

 
 
 
 

フクシマ―放射能汚染に如何に対処して生きるか

フクシマ―放射能汚染に如何に対処して生きるか

  

患者さんから中野先生へのメッセージを紹介いたします

言叢社「子育ての基本になる家庭医書」シリーズ
 
・小社では、「子育ての基本になる家庭医書」の書籍をかさねていきたいとおもっております。子どもの激しく成長するこの時期、基本的な大事な知識と知恵をお伝えしたく、刊行していきます。
2015年、『赤ちゃんからはじまる便秘問題』中野美和子著、という本を刊行しました。子どもの排泄に関する本です。昨年5月、2刷りができました。
・著者・中野先生は、日々お忙しい診療の合間をぬって、保育にかかわる全ての方々、子どもの排便に日々悩ましいお母さんたち、保育園・幼稚園・小学校の先生たち、保育士・看護師の方々に、これからも普及活動を行なっていきたいということで、活動をつづけていらっしゃいます。
今回、患者さんからの本の感想と中野先生へのメッセージをご紹介します。あわせて、お子さんやお孫さんの便秘状況の日々がよくつたえられていますので、ご参考いただければ、と思い掲出します。
 

 
■to中野先生
from OM6歳・女児・小学校1年の母より
 
 NHKの「すくすく子育て」にでていらしたお元気そうな、いつものように優しい先生を拝見し、とても嬉しくなりました。

 うちの子は、先生に救って頂きました。
 数年たった今でも、Mのうんちを毎朝みる度に(流す前に本人と一緒に確認している)、毎朝、先生を思い出しております。先生を忘れたことは一日もありません。それくらい、便秘は大変なことでした…。
 現在、排便は毎朝あります。朝食後、自ら便座に座り(排便が苦でない証拠と思う)10分程度でサランラップの芯並の少々太目の立派なうんちをします。
食事はなるべく3食和食です。水分摂取は普通量です。食事量は年齢並、普通と思いますが、3食しっかり食べているので同年の子よりも1日の食事量が多いかも知れません。
 先生にお世話になっていたころ、毎日の排便問題が辛く、悪循環で、子育てに疲れ切っていきました。周りから見たら「たかが便秘」で、追い詰められていました。
 先生にお逢いできずして、今の生活はないと思っております。
 本当の便秘症の子は、便座に座ったくらいでは…、食事の見直しをした位では…、水を飲んだ位では出ませんよね…。

 子どもの排便が習慣化したのは、毎日同じ時間に浣腸をして、直腸の感受性を高め、排便が楽になり、その流れで便座で排便できるようになり、段々それが続いた…、長い時間をかけて少しずつ、その波に乗った…のだと思います。カマ(便秘薬)が必要なくなったのは、4歳2か月ごろです。浣腸もその頃には段々使わなくなっていました。
 幼稚園年中(5歳頃)に入った頃には朝のうんちは習慣化し、カマと浣腸も使った記憶は殆どありません。うんちも、1人でトイレでできるようになりました。
 今でもお尻を拭いてほしいと言えば、拭いてやります。親子で排便に取り組んだので、そのなごりで、今でもお尻を拭いたりしてしまいますが…、コミュニケーションと思ってます。そして、朝からよいうんちを喜びます。

 先生が「すくすく」でもおっしゃったように、忙しくせずゆったり…で、結局、幼稚園年少も行かずに母子でゆっくり過ごしてよかったです。
 今は、徒歩10分の私学小学校(通っていた幼稚園の附属)に通っていますが、朝の時間がゆっくりできる事、学校のトイレが綺麗だったことが決め手でした。多分本人も。
 便秘の子は外でうんちすることは殆どないですし、熱が出たり体調不良と共に便秘を誘発します(便秘が治った時期でも、高熱で便秘になり、浣腸をしたことは数回あります)、
 また、おばあちゃんの家、旅行など外泊時は出ませんね。でも、帰宅すればすぐ解消します、下剤や浣腸が必要になることはほぼないです。時々切れ痔のこともありますが、問題になるようなことはないですし、イボ痔はもうないです。
 人生で下痢したのは数える程しかありません(笑)。

 便秘で悩むお母さんに希望を持ってもらいたいです。
 まずは、中野先生のような専門医に出会えることが一番の救いです。
 そして、Mのようなタイプの便秘のお子さんの場合は、中野先生の専門的治療と決まった時間の浣腸、親子でゆっくりした時間を過ごす、体からの便りのうんちに感謝する気持ちを持つ(汚いものと教えない)、トイレを綺麗にしておく、便秘であることをマイナスに思わない(家族の理解が必要)、一緒にお料理作りなどを楽しむ(食べ物に興味を持つ)、色々こだわらない、必ず治ると信じる、です。

 主観ですが、便秘の親子はやや神経質なタイプの人が多いかも知れません(自覚してます(笑))。
 身体の発達面のお話がありましたが、Mは夜尿(夜間のおねしょが250ccを超えます)がまだあります。夜間のオムツがまだ外せません。先日、専門医の相談を受けましたが、精密検査、知能検査上の異常はなく、膀胱の大きさなどの体の発達の問題と言われました。便秘を乗り越えたので、夜尿に関してはのんびり構えています。
 何より、今、楽しく学校生活を過ごし、穏やかで優しい子に育っています。バイオリンも上手になりました。
 感謝の気持ちと今の現状をお伝えしたく、メール致しました。
 
●中野先生からの「Mさんの事例を講演などの際にはなしてよいですか」と返信をうけて

 先生から、お返事が頂けるなんて夢のようでした!
 Mの事例、皆様のお役に立てるのなら、是非お話してください!とても光栄です。

・小児科医の先生のこと
 「小児科医向けの講演…」。実は、私もそこが一番残念な点です。小児科医に便秘の相談をして、中野先生のような適切な治療をしてくださった医師はおられず、本当に翻弄されました。地域の保健師さん、助産師さん、各種電話相談も、然りでした。
 皆さんのおっしゃることは、「水分、食物繊維、規則正しい生活、トイレに座る練習、神経質にならない」などでした。どれも改善に結びつかず、誰に相談したらいいのかわかりませんでした。
 その頃、川越の保健所が主催された講演を聴きに行く機会がありました。講演後に個人的に質問をしましたところ、「子どもにもそんな便秘があるんだね、余り聞いたことがないね。それは専門医に相談したほうがよさそうだね」とおっしゃいました。
 「専門医」というキーワードが頭に残り、中野先生のご存在を知り、出逢うことができました。私は恵まれていましたが、世のお母さんは、子どもの病気は小児科医と信じて疑いません。「専門医」だなんて、よほどの難しい慢性疾患でない限り、思いつかないものです。
 
●「浣腸が癖になる」という思い込み
 この考えが何故浸透しているのか、私なりに考えてみました。私もそう思っていたからです。私個人の場合は,周りに便秘症の女子の友人がたくさんいて、「便秘薬を飲まないとお通じがない」「小さい時から便秘なの、薬が癖になってるかも」などよく聞きました、このようなやり取りから,便秘薬や涜腸薬は依存性があると思っていました。便秘症の女性は多いです。妊娠中に便秘に悩むお母さんも多いので、「子どものうちに自然なお通じができないと、一生困るかも知れない」という思い込みにつながるのかも知れません。大人の女性の便秘は、なるべく自然な形で、とよく言いますので、子どもにもそれを重ねてしまうお母さんが多いのかも知れません。

季節柄、お体を大切にしてくださいね。
 

 

 
■to. さいたま市立病院小児外科部長 中野美和子先生
●3歳半の孫(男)のこと。祖父・KMさんの手紙
 
 ご多忙のところお邪魔します。突然のお手紙をお許しください。先生の著書『赤ちゃんからはじまる便秘問題』で大変お世話になり、書かずにはおれませんでした。
 3歳半の孫(男)が昨年の7月頃から便秘になり、近所の小児科医に診てもらいました。下剤と浣腸の処方をしてくださいましたが、約6ヶ月が経っても便秘の症状は改善せず、毎日の下剤と週1回の浣腸を続けるのに不安を感じ始めました。孫も浣腸を嫌い、嫌がるのをむりやりするので、虐待かと思われそうで、こちらも気が気でありませんでした。でも孫は排便を済ますと、たぶんすっきりするのでしょう。涙目ながらご機嫌になるので救われました。
 そんな時、偶然先生の著書『赤ちゃんからははじまる便秘問題』を見つけ、早速に熟読、実践を始めました。「鈍感になった腸をもとに直せ」で積極的に浣腸し、硬いジャガイモのような便が2ヶ月程で徐々に柔らかな卵状となり、更にほぼ毎日の排便でバナナに近づいて来ました。孫は排便を嫌がらなくなっただけでなく、自分で頑張るようにもなり、やっと落着きました。
 先生の著書に感謝、感謝です。誠にありがとうございました。
 先生の著書内容を承知されていない小児科医の方々は、下剤と浣腸の処方だけでなく、ぜひともご一読して患者を指導していただきたいと思いました。
 この種の本で索引があるのは稀ですが、大変嬉しい配慮です。
 もう一度、ありがとうございました。


 

 

 

著者:中野美和子先生
 
 

赤ちゃんからはじまる便秘問題―すっきりうんちしてますか?

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謹賀新年


 
********************
 
言叢社の主な出版物》
 

子どもの歯と口のケガ

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型の完成にむかって

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村落共同体と性的規範―夜這い概論

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赤ちゃんからはじまる便秘問題―すっきりうんちしてますか?

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神話思考〈2〉地域と歴史

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瑠璃光の曠野へ―禅とアメリカ詩人

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写真文集 佐原の大祭

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生の緒―縄文時代の物質・精神文化

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誰がこの子を受けとめるのか―光の子どもの家の記録

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プリーモ・レーヴィ―アウシュヴィッツを考えぬいた作家

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論註と喩 (1978年)

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台湾俳句歳時記

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愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践

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ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

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